「政治的にただしい」共同体ほど、破局へ近づいてしまう

いまの人権国家(先進国)は、人権国家としての実効性を積極的に失わせるような思想や行動様式にさえ「自由」を保証してしまっているどころか、むしろ「社会正義」として推奨してしまっているという、文章にすると完全に語義矛盾を起こしているか、あるいは私がなにか書き間違えをしていると疑われてしまうような、まったく意味不明で本末転倒の状況に陥っている。

「逃げ恥」を称賛する人びとは、このような「ポリティカルにインコレクトな文章」を公表する私などよりはるかに、政治的・社会的・道徳的にただしい。しかし、いくら政治的・社会的・道徳的にただしくそして優位であろうとも、共同体の持続可能性の点では完全に道を誤っていることには変わりない。

この決定的な矛盾を表立って指摘することは、「差別主義者」「女性嫌悪者」などといった不名誉なレッテルをともない、その発言者の社会的生命の死を意味する。ゆえにだれもがこの問題の核心に迫ることなく、目を逸らし、最終的な破局へと突き進んでいる。たしかに、逃げるは恥だが役に立つ。しかしひたすら逃げ続けた先にあるのは「詰み」である。

人類の数は世界全体で見れば依然として増え続けている。だが、自由でリベラルな国に暮らす私たちだけを見れば、徐々に勢力を失い、「詰み」に向かっている。

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