自由で寛容な社会ほど、子どもは生まれなくなる
皮肉としか言いようがないが、「人権思想」に基づいて、多様な価値観や思想体系(男女平等、言論の自由、思想信条の自由、内心の自由)を包摂する、自由で寛容な社会だからこそ、現代のリベラルな先進各国は人口動態的に危機的状況に陥っている。生まない自由を尊重したり、子どもを産み育てることへの倫理的責務を高めたりする風潮を強化したりすれば、子どもが生まれなくなるのは当然だ。実際、人権思想はひたすらにそうしてきた。
個人の人権(とりわけ女性の人権)を手厚く保証すればするほど、子どもは生まれなくなり、人口再生産性は低下していく。これは私が差別的な偏見に基づいて放言しているわけではなく、統計的・数理的データによって裏付けられた事実でしかない(この統計的事実を道徳的にどのように判断するのかは自由だが)(※2)。
(※2)WIRED『「世界人口が今後30年で減少に転じる」という、常識を覆す「未来予測」の真意』(2019年2月20日)
生まない自由、女性が輝く社会、反出生主義――リベラルで成熟した社会で繰り広げられる「ポリティカルにコレクトな議論」は、人間の美徳がますます洗練されているような響きをともなっている。しかしこうした議論が成熟し先鋭化するリベラルな国家は、その代償として人口動態的には軒並み自殺に向かっているともいえる。
「人権思想を守る人」が足りなくなる未来
一方で「人権」や「リベラル」の価値観を全面的には共有しないコミュニティ(イスラム原理主義、ユダヤ教超正統派、アーミッシュなど)に属する人びとは着実に人口を伸ばしている。彼らのような「人権思想」や「ポリティカル・コレクトネス」とは一定の距離を置いた人びとからなる共同体が、「人権を愛するリベラルな人びと」の共同体を、構成員の数の上で圧倒する時代が遠からずやってくるかもしれない。
「逃げ恥」で語られたようなさまざまな論点に真摯に取り組むのが、自由と平等という基本的な価値観を共有する先進国で生きる私たちにとって、疑いようのない倫理的・道義的責務であるかのように考えられている。しかしその先にあるのは、人口的に先細り、後生大事にしてきた人権思想を維持するリソースがまかなえなくなるという皮肉な未来である。社会が人口再生産性を失えば、いくら「自由・平等・人権」の理想を掲げても、それらを現実に還元するためのリソースが捻出できなくなるからだ。
人権国家において、いうまでもなく人権は人びとにひとしく付与されるが、しかしその人権の実質的な《効力》を保証しているのは人びとが社会活動・経済活動を通じて提供するリソースである。社会的・経済的リソースを産生する人口が少なくなればなるほど、その《効力》は弱まっていく。