「ポリコレ」は「権力」を持っているから嫌われる
エンタメとして楽しむ分にはどのようなものであれ自由ではあるものの、しかしながら、この手の「ポリティカルにコレクトなコンテンツ」に付随しがちな問題があることもたしかだ。
すなわち、こうしたポリコレ・ファンタジーを真に受けて「現実もこうあるべきだ」と喧伝するような人が大勢現れ、しかもそうした人びとが実社会で一定の政治力を担保してしまうことである。
「(たとえ創作の物語であろうが)これは社会への重大な問題提起なのだから、多くの人が耳を傾け、真摯に反省し、実際に行動し、社会を変革していかなければならない」などと真顔で言いだしてしまうし、またそれに従わない者に「社会悪」のレッテルを貼る――「ポリコレ表現」というジャンルには「ポリコレファンの押しつけがましく攻撃的でさえある社会正義しぐさ」が緊密にワンセットになっている。こうした点こそが「ポリコレ」という表現ジャンルが持つ重大な特異性である。
ポリコレファンたちの押しつけがましさや攻撃性に加え、他の表現ジャンルとは比較にならないほどの「政治権力」をすでに持っているからこそ「ポリコレ」というジャンルは、単なる表現としての批評の枠組みを超え、社会思想的な範疇の論争を巻き起こし、はげしい毀誉褒貶をつくりだしている。
「生まれてこないほうがよかった」と考える人々
「逃げ恥」で取り上げられたような論点――「ジェンダー平等」「産む自由/生まない自由」「少子化問題」など――あるいは、さらに先鋭的な「反出生主義」といった議論が大真面目に展開されているのは、なにも日本にかぎった話ではない。「人権」や「リベラリズム」の価値観を共有する先進各国では、こうした議論はいま同時発生的にみられている。
(中略)
最近ではインターネットを通じて世界に拡散されています。南アフリカの哲学者、デイビッド・ベネターが有名ですが、地球環境問題の悪化を深刻に受け止め、子どもを作らないことを推奨したり、人類絶滅を目指す運動もあります。2019から20年にかけて、反出生主義は世界的なカウンターカルチャーのトピックとして浮上しています。
毎日新聞『「生まれてこないほうがよかった」 世界で注目「反出生主義」とは何か』(2021年1月2日)より引用