名門の威光を取り戻せない責任は、安永氏だけではない
そんな安永氏も2018年3月期に純利益で4184億円と過去最高益を記録するが、それは資源価格の上昇によるものだった。食品や小売りに加え、さらには金融事業など「BtoC(消費者向け事業)」まで矢継ぎ早に手を伸ばす伊藤忠や三菱商事に、最後まで追いつくことはできなかった。
なかなか取り戻せない名門の威光。その責任は安永氏一人にあるのだろうか。
「多くの罪は会長の飯島彰己氏にある」と三井物産社内ではささやかれている。「自らの院政を敷くために32人抜き人事を決めた」(三井物産幹部)というのがその理由だ。
安永氏が社長に就任した初年度(2016年3月期)に三井物産はチリにもつ銅山の減損計上などで、創業初の834億円の最終赤字に転落した。
※編集部註:初出時、「オーストラリアにもつ銅山」としていましたが、「チリにもつ銅山」の誤りでした。訂正します。(1月19日14時20分追記)
安永氏は、かつての上司がまだ副社長などとして残る中で、その上司たちが手掛けてきた資源や金属、海外プロジェクトなどの不採算事業のリストラをいきなり背負わされた。
「商社で一番難しいのは投資案件からの撤退」
同業の丸紅幹部からは、「商社で一番難しいのは投資案件から撤退することだ。担当者の思い入れもある。それがかつての上司が手掛けた案件であれば、なかなかメスを入れることはできない」と同情の声も聞かれるほど面倒が伴う。
さらに、元上司を説得して子会社などに移すなどするのにも労力がいる。その結果、自らの意に沿った経営体制を築くのも時間がかかった。
三菱商事も三井物産と同時期に赤字に転落した。同じ銅鉱山に出資していたためだ。その銅鉱山への出資規模が三井物産の倍だったので、三菱商事の赤字額は物産の倍に膨れた。しかし、当時の社長だった小林健氏(現会長)は赤字を機に不良資産の処理と同時に副社長を一斉に退陣させ、体制を一新させてから次代に引き継いだ。