「人の三井」という言葉も死語になりつつある

三井物産と同様、三菱商事も非資源部門の強化が課題だった。小林氏はサーモンの養殖や穀物商社などの買収などを進め、ローソンには自らの秘書だった竹増貞信氏を社長に送り込んだ。非資源部門の強化にめどをつけ、社長のバトンを継いだ食料部門出身の垣内威彦氏も就任直後にローソンを子会社化するなど、資源・非資源の両立体制を確立。業績のV字回復も早かった。

※編集部註:初出時、「シャケの養殖」としていましたが、「サーモンの養殖」の誤りでした。訂正します。(1月19日14時20分追記)

三井物産は財閥グループの中で“人の三井”と言われるが、最近ではその言葉も「死語」になりつつある。

かつては馬力のある営業部員がロシアやブラジル、オーストラリアンなど資源国を中心に乗り込み、現地政府の要人や資源メジャーの懐に飛び込んで石炭や鉄鉱石、液化天然ガス(LNG)などを日本に運んだ。

タンカー
写真=iStock.com/Bill Chizek
※写真はイメージです

しかし、その営業の「個の強さ」は、2002年の国後島のディーゼル発電施設をめぐる不正入札事件やモンゴルへの政府開発援助(ODA)に関する贈賄事件などが発覚するにつれ、「利益のためなら多少の不正に手を染めてもかまわない」との風潮を社内に蔓延させた。

「安永氏に負の遺産ごと放り投げた」社長交代

この一連の不祥事を機に当時の会長や社長は引責辞任し、社内の内部統制を強めた。特定の部署に長く在籍することが不正の温床につながるとして、「エネルギーをやっていたエースが全く畑違いの食糧などに移される人事が相次いだ」(三井物産幹部)。

その流れの中で「取り立てて実績のない」(三井物産OB)飯島氏が社長に就任。資源以外のビジネスに力を入れることなく、しかも、不採算事業を整理することもなく6年後には「安永氏に負の遺産ごと放り投げた」(同OB)。

その安永社長も、昨年12月の社長交代の会見で「内向き、内部統制色が強く、それを外向きにすることに注力した」と話したが、「失敗を恐れ、小粒化する」(ライバルの商社大手幹部)三井物産の凋落から同社を再び活気のある企業に生まれ変わらせることはできなかった。

次期社長の選考でも、飯島氏は稼ぎ頭である鉄鉱石など自らの出身部隊である金属部門やLNGなどエネルギー・資源分野の役員を推した。しかし、まだ社長のポストに未練たらたらの安永氏に、会長に退くことを飲ませるためには傍流とも言える化学部門が長く、全社を見通せる経営企画部長やIR部長を歴任した「調整型」の堀氏を据えることで落ち着いた。