親子間の介護に対する認識のズレを解消する、たったひとつの方法
では、こうした親子間の介護に対する認識のズレを解消し、上手に賢く親の介護問題をクリアしていく方法はないのか。
筆者が多くの相談事例を踏まえて言えるのは、まず認識のズレについては、日頃から、できるだけ親子間、きょうだい間のコミュニケーションを円滑にしておくこと。介護を含め、親がどんな老後を望んでいるのか、子どもは耳を傾けてほしい。
とはいえ、かしこまって、「今日の議題は介護問題です」などと切り出す必要はない。
普段の日常会話の中に、親の気持ちや要望が透けてみえるヒントが隠されている。それを見逃さないようにすることが肝心だろう。
筆者の事例を出そう。先日、母の兄(筆者の伯父)が90歳で亡くなった。コロナ禍ということもあり、身内だけの家族葬で済ませたのだが、葬儀に参列した母から報告の電話の際に「私も、(伯父と同じ)家族葬でいいからね。近所の人を別に呼ばなくても、あれくらいこじんまりとした葬式でも十分だったわ」などと言っていた。
これも親の一つの意思表明で、これらの情報の積み重ねで、介護の方向性も決まっていく。
親の介護の問題をほったらかしにすると後でツケを払わされる
そして、介護問題をクリアするために欠かせないのが「時間」「お金」「情報」の3つである。この3つは、相互に作用しあっている。
つまり、介護が発生するまでにまだ時間の余裕がある場合は、情報を入手し、お金を節約する方法がないか模索できる。時間がなければ、お金をかけるしかないが、情報があれば、効果的かつ合理的なお金のかけ方ができる、といった風に考えておこう。
なお、冒頭で親の介護問題に悩む子ども世代が増えていると書いたが、厳密には、真面目に考えている派とそうでない派の二極化が進んでいるというのが正しいかもしれない。自治体や介護業者などに丸投げして、「親の面倒はみられません。お金も出しません」といった子どもも少なくないと聞く。
家族の事情は、その家族にしかわからない。筆者自身も親に対して反発し、一切の連絡を絶っていた時期があるので、それに関してとやかく言うつもりもない。
しかし、親の介護問題を考えることは、自分のためでもある。なぜなら、ほったらかしにしておいて、こじらせるよりも、その前に対策を講じておいた方が心理的にも経済的にも被害は少ないのが確実だから。
それに、将来は自分自身も介護状態になる公算が大きい。その時に上手に介護を受けるための“予習”も兼ねていると考えれば、ちょっと前向きになれるのではないだろうか。