「恩着せがましい人」にならないためには

ここでインドのヒューマン・コンシャスネス哲学の講師であるジャギー・シン先生から学んだ1つのお話を紹介します。

あるところに大きな川があり、その川岸でグルー(GURU)が岩に座っていました。グルーとはインドでは精神哲学を教える先生のことです。ある日、1人の旅人が通りかかり、川を渡りたいと思いました。旅人は川岸にいたグルーに、川の渡り方を尋ねました。するとグルーは「ボートを使えば川を渡ることができる」と教え、わざわざ旅人をボートに乗せて、向こう岸まで漕いであげました。無事に向こう岸へ渡ることのできた旅人はお礼を述べて、旅路を急ぎました。

さて、グルーは、旅人についていったでしょうか?

いいえ、グルーはまた船を漕いで元の川岸に戻り、いつもの石の上に座りました。彼の仕事は川の渡り方を教えるだけです。

そして、それを手助けするだけです。旅人にいつまでもついていき、自分の恩を忘れないようにしつこくまとわりついたりはしません。ただ川のこちら側で相手の旅路の安全を祈り、旅人の成長を喜んであげるだけです、恩着せがましく「僕が世話をしてやったんだから、一生僕の恩を忘れるなよ」と、旅人についていってはいけないということなのです。

この恩着せがましさは、「エゴセルフ」の仕業であり、それに気づくことで、また一歩コンシャスリーダーへ近づくことができるのです。

自分がもし川岸のグルーだとしたら、自分は川のこちら側にいることを徹底し、そこから知人の活躍を応援するだけでいいのです。

もしこの旅人がコンシャスネスの勉強を始めているのであれば、恩着せがましくまとわりつかなくても、おそらく旅人の心の中に温かな感謝の気持ちが永く抱かれ続けるものだと理解できるでしょう。

「知識」ではなく「知恵」をつけるべき

先ほどのグルーのお話には、もう1つ大切な教えが含まれています。助けられた旅人のほうでも気をつけなければいけないことがあります。やみくもにグルーのことを信じて、いつまでもグルーに答えを求めて川岸に残るのではなく、自分自身で自分の人生を歩んでいくスタンスを失わないということです。

グルーは川の渡り方は教えられても、あなたの人生に必要なすべての知恵を与えてくれたりはしません。ひとりひとりが自分にとって必要な知恵をあらゆることから学び、気づき、悟り、そして生きていくのが、「それぞれが人生を生きる」ということです。

やみくもに1人の先生についていって、先生の言うことを「信じる」のは、コンシャスネスの学びではありません。

「信じる」という言葉は英語でBELIEVEと書きます。そのスペルにはLIE(嘘)という文字が含まれています。つまり、もしかしかたらLIE(嘘)かもしれないことを、信じてはいけない、ということです。

先人が言ったことをむやみに「信じる」のは、ただマインドのみで覚えていて、そのまま伝えているにすぎません。マインドで覚えただけの言葉は知識(KNOWLEDGE)にはなりますが、知恵(WISDOM)ではありません。