完全な競馬依存症だったが、よくしたもので、芸は身を助けるのことわざ通り、出版社に潜り込み週刊誌編集者になったら、文士やライターたちと競馬を通して親しくなり、競馬人脈が広がっていったのである。
山口瞳、虫明亜呂無、常盤新平、大橋巨泉、寺山修司、米長邦雄、本田靖春など数え上げればきりがない。
入社3年目、ボーナス全額を突っ込んだら…
山口さんには週刊現代で「競馬真剣勝負」という連載をしてもらった。毎週土曜日曜、ゲストを招いて一日3万円、二日で6万円を渡して馬券を買ってもらって、勝敗を決めるという企画である。
当時、私の月給が6~7万だった。
1年間、府中、中山はもちろん、京都、阪神、福島、新潟まで回った。山口さんやゲストは6万円で遊べるからいいが、こちらは身銭だから、朝から馬券を買っていてはカネがもたない。
おかげで、大儲けはできないが、負けない買い方は身についた。人間がセコイということだが。
そんな私でも、これまで何回か大勝負(私にとってだが)したことがある。
1973年、ナスノチグサが勝ったオークスだった。ナスノチグサ、レデースポート、ニットウチドリの3強で固いといわれていた。
入社3年目、ボーナス全額30万円をナスノチグサとレデースポートの一点で勝負した。結果はナスノチグサが勝って、2着はニットウチドリ、レデースポートは僅差の3着だった。
その後も、絶対固いといわれていた1番人気の単勝に20万円ぶち込んだが、スタートと同時に落馬した。
競馬は一寸先は闇。当て事と越中ふんどしは向こうから外れるということを嫌というほど味わってきた。
予想の神様でさえ「今年は2000万円の損です」
以前、大川慶次郎という競馬の神様がいた。面白い人だった。あるときこんなことがあった。
7頭立ての競馬で、あまり荒れそうにない。パドックを見ていて休養明けで30キロ以上も太って出てきた馬がいた。
当然だがまったく人気がない。大川さんに聞くと「来るわけない」とにべもない。遊びだからと、その馬から何点か流してみた。大川さんは頼まれた馬券もあるのだろう、特券(1000円馬券)を束にして持っていた。
レースが始まり、最後方をトコトコ走っていたデブ馬が、四コーナーを回ったあたりから猛然と追い込んできて、2着に入った。
横を見たら大川さんがいない。しばらく経って戻ってきた大川さんに、「あの太った馬来ましたね」というと、悔しそうに「あれは走っているうちに痩せたんだ」といいなすった。