私たちの結論は「遺伝のリスクを承知したうえでも子供が欲しい」

さらに2人は、子どもについても真剣に考え始める。

「私たちの結論は、『遺伝のリスクを承知したうえでも子どもが欲しい』でした。『リスクがあると判っているのに、無責任だ』という意見ももっともだと思いますが、遺伝病以外にも、血統として、がんのリスクが高い人もいる。後天的な病気になるリスクは誰だってある。リスクを考慮するという意味では、他のリスクとハンチントン病のリスクの差が、私には区別できませんでした」

瀬戸さんは、ハンチントン病を言い訳にしたくなかったし、「遺伝病=確実に遺伝する」ということではないことに希望を見いだしていた。

写真=iStock.com/tutti-frutti
※写真はイメージです

2007年7月、妻の妊娠が明らかになった。青ラインが浮かび上がった妊娠検査薬を手に、妻の顔は少し緊張していたが、瀬戸さんは大きな笑顔を作って「また、頑張らないといけない目標ができたね」と声をかけた。すると、妻はやっと表情をほころばせた。

その後、瀬戸さんは介護と育児を両立させるために、退職することを決意。お互いの実家がある故郷に戻り、親族が経営する会社を手伝うことにした。

ところが10月。2人で産婦人科へ妊婦検診に行くと、胎児の心音が極めて確認しにくく、急遽大学病院にて緊急分娩を行うことに。妻の不随意運動は日に日に激しくなり、壁や柱に身体を預けることが日常的にあったため、恐らくその影響による流産ではないかと担当医師は言った。

死産届けを出す前に出産届けを提出しなければならないのか……

看護師から、「お子さんは妊娠24週を超えているので、役所に届けなければなりません。届け出にはお子さんの名前を記載しなければならないので、短時間ですが考えておいてください」との説明がある。

火葬が必要とのことで、瀬戸さんは小さな棺桶を近所の建具屋に依頼した。

「手続きを始めて驚いたことは、死産届けを出すためには、先に出産届けを提出しなければならないということでした。必要な手続きなのかもしれませんが、さすがにこれにはまいりました……」

すでに亡くなっている子どもに名前をつけ、出産届を書いた次の瞬間、死産届を書く……。一般的な夫婦よりも強い覚悟をもって子どもを持つことを決意した夫婦にとって、これほど残酷な手続きがあるだろうか。

退院後、帰宅すると妻は、「ごめん」と言うなり号泣し始めた。瀬戸さんも「ごめん」と言い、2人で泣いた。

2人はしめやかに葬儀を行い、夫婦だけで火葬場へ向かった。子どもをもつ夢に破れた2人は、この後、さらに苦しみを分かち合うこととなる。(以下、後編へつづく)

※編集部註:初出時、瀬戸さんの妻の妊娠週数を12週としていましたが、正しくは24週でした。訂正します。(11月28日22時00分追記)

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