22歳の時に高校の同窓会で再会したのをきっかけに交際・同棲した九州在住の男性はその後、長年にわたり相手の女性を介護する。交際直後、女性は脳の一部の神経細胞が失われていく遺伝性・進行性の疾患(指定難病)と診断された。治療法も確立されていない。それでも男性は愛を貫き結婚し、話し合って子作りを決意したが、悲しい結末が待ち受けていた——。
手を握る新郎新婦
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、未婚者や、配偶者と離婚や死別した人、また兄弟姉妹がいても介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

高校時代の同級生だった妻が、指定難病「ハンチントン病」を発症

九州在住の瀬戸良彦さん(仮名、現在40歳・独身)は、高校卒業後、年に一度開かれていた同窓会で妻となる女性と再会。「再会」といっても、高校在学中はお互いにほとんど話したことがなかったため、「出会った」という表現のほうが適切かもしれない。

22歳のときの同窓会で近くに座り、ラジオ番組の話で意気投合したことから、2人で食事やドライブをしたりするように。1カ月後には正式に交際をスタートし、1年後には瀬戸さんの会社の先輩の厚意で一軒家を借り、同棲を開始した。

同棲から1年たった頃、妻の異変に気付いた。貧乏ゆすりをする癖が、激しくなったのだ。その時はそこまで気にしなかったが、その癖はのちにある病の兆候を示すものだとわかる。

しばらくして、妻の父親が2人の家に遊びに来た。父親は約1年ぶりの娘を目にして戦慄する。瀬戸さんが妻の癖だと思っていた独特な身体の動きや滑舌の悪さ、激しい貧乏ゆすりに既視感があったのだ。

父親は娘に、大きな病院の受診を促した。

「彼女が幼い頃に両親は離婚していて、彼女の母親は10年以上前に他界しています。そのため彼女は母親の記憶がほとんどないそうです。交際を始めた頃、彼女の父親からは、母親は水俣病で亡くなったと聞かされていました」

妻は検査入院し、4日後、父親に伴われ、診断書を手に戻って来た。見ると診断書には、「ハンチントン病」(※)という聞き慣れない病名が記載されていた。

※「難病情報センター」などによれば、日本人の100万人に5~6人未満というまれな病気。国内で医療受給者証を交付されている患者は2018年度末現在、913人。

「『ハンチントン』という名称を初めて耳にした私は、病名らしからぬ不思議な響きに思わず笑ってしまいました。ただ、その後にお義父さんからお義母さんが亡くなるまでの“真相”を聞き、病気の壮絶さを知った後の絶望感との落差で、軽いめまいを起こしました」

「大脳基底核」の神経細胞が失われていく進行性の神経変性疾患

ハンチントン病は、脳の中の「大脳基底核」のある部位の神経細胞が失われていく進行性の神経変性疾患だ。大脳基底核は、運動制御、認知機能、感情や動機付けなど、さまざまな機能を司っている。

主な症状は、動作をコントロールする力の喪失(不随意運動・飲み込み困難)、思考・判断・記憶の喪失、感情をコントロールする力の困難(抑鬱・いらだちなど)に分けられ、若年で発症すると重症化し、高齢であるほど症状は軽く出る傾向にある。

妻の母親は、実は水俣病ではなく、このハンチントン病で若くして亡くなったのだった。父親は、ハンチントン病は遺伝する病気であり、娘は母親と同じ道をたどる可能性が高く、将来はおそらく寝たきりになると説明した。

その日は遅くまで、妻と2人で話をした。どんな病院でどんな検査をしたのか、今はどんな気持ちなのかなどを聞きながら、瀬戸さんは悪夢を見ているような気分だった。