幕末期の日本に存在したビジネスチャンスは何か

まず、(1)について。

当時の日本で存在したビジネスチャンスは、単に、長期にわたって鎖国していた国が、開港によって世界に門戸を開いたということから生じたものだけではなかった。

L・クニフラー商会の創設者であるルイス・クニフラーは、事業の拠点をオランダ領東インド(現在のインドネシア)のバタヴィア(現在のジャカルタ)から日本に移すに当たって、故郷のプロイセンに宛てた58年の手紙のなかで、「日本人は科学方面において驚くべき進歩をなし、かつ絶えず非常な努力と熱心さをもって、その知識の拡大につとめ、教養ある外国人と接触しようとしている」と書いた。このことにも示されるように、近代化、工業化をめざす息吹が、幕末・維新期の日本には渦巻いていた。

この近代化へ突き進むダイナミズムこそが、当時の日本に存在したビジネスチャンスの本質だったと言うことができる。

次に、(2)について。

事業上の成功を実現させた理由としては、何よりも、L・クニフラー商会ないしC・イリス商会で活躍したドイツ人商人たちの旺盛な企業家精神をあげるべきであろう。彼らは、ビジネスチャンスを活かすためには、攘夷運動の高まりなどに見られた大きなリスクの存在もいとわなかった。交易活動さえできるのであれば、入港時に掲げる国旗は、他国のものでもかまわなかった(例えば、L・クニフラー商会は、開業当初、オランダの国旗を掲げて事業を遂行した)。

日本からの輸出が困難であると判断すれば、長崎・横浜・神戸において、輸出用の茶を製造する工場を稼働させることまでした。旺盛な企業家精神こそが、L・クニフラー商会ないしC・イリス商会を事業上の成功に導いたのである。