無力感に襲われた教会牧師との出会い

認知症における医療の無力さを痛感しつつ、何とかしたい、医者としてこの分野で尽力したいと思う過程で、忘れられない人がいます。外来患者として来ていたキリスト教の牧師さんで、綺麗な大きな目が印象的な方でした。

まだ50代前半で、若年性のアルツハイマー型認知症の疑いがあり、強い頭痛を訴えていました。奥さまによれば、礼拝時にオルガンやピアノの演奏をされたり、賛美歌の指導をされたりと、教会音楽にたいへん造詣が深かったそうです。

ところが、賛美歌を弾いているときにどこを弾いているかがわからなくなったり、クルマの運転もおぼつかなくなったりといったことが増えてきたというのです。

ボクは主治医としてかかわりましたが、当時は認知症に関する薬がありませんでした。診療をしていると、医者として忸怩たる思い、深い無力感に襲われました。

結局、その方は教会をやめて故郷に帰ることになり、そこでボクにできたことといえば、専門医への紹介状を書くことだけでした。

五線譜に記された悲痛の叫び

それから20年くらいたったころ、奥さまとたまたまお会いする機会がありました。彼はすでに亡くなられていましたが、認知症がそうとう進み、ご家族はずいぶんご苦労されたとのことでした。

長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)

亡くなられたあと、書棚から、その方が五線譜に書かれたメモが見つかったとのことで、奥さまが見せてくださいました。

「僕にはメロディーがない 和音がない」
「あの美しい心の高鳴りは もう永遠に与へ(原文ママ)られないのだろうか」
「いろんなメロディーがごっちゃになって気が狂い相(原文ママ)だ」

悲痛な叫び、心のうめきが書かれていました。それを読んだとき、ボクは言葉を失いました。

認知症の人の思いを、自分はほんとうにわかっていたのだろうか、という思いにとらわれたからです。一方で、五線譜に書かれた文字を見ながら、認知症の研究や診療をボクは何が何でも続けていくぞという決意を、あらためて固めたのです。

治らない、でも医者として逃げてはいけない

認知症は治りません。だからそれを医者として専門にすることは、かなり変わり者だと思われていました。医者は「治してなんぼ」の世界です。大方の医者は、老年医学や認知症の医療にはそっぽを向いていました。

でも、ボクは、認知症の人とかかわるようになって、悲しんだり苦しんだりしている人の力になりたいと思った。この牧師さんのような方たちの心の叫びから、絶対に逃げてはいけないと思ってやってきました。

五線譜のメモを見て、あらためて認知症の診療やケアに向き合っていく力を与えていただいたのです。

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