「しがみつく人生」は人を幸せにするのか

あまりにも若者の能力が高過ぎて、もはや自分は付いていけないのが現在のウェブメディア業界である。いまのところはとりあえず「ネットニュース編集の先駆者」的に扱ってもらえているが、率直にいって、自分はもう若者に勝てる部分がほぼなくなっていると考えている。世代交代の時期が来たのだ。だから辞める決心がついた。このまましがみついていても、きっと醜態をさらすだけだろう、と。

「いくつになっても人は成長できる」「ベテランにはベテランの戦い方がある」「ロートルの意地を見せてやる」「まだまだ若者には負けない」などと鼻息荒く立ち回り、現状にしがみつく生き方もあるのだろう。だが、「しがみつく人生」は果たして人を幸せにしてくれるのだろうか?

この問いに関連して、いつも頭に思い浮かぶのが野球解説者だ。過去の名選手は引退後も当座はもてはやされ、野球解説者や評論家として人前に出る仕事を選択することが多い。しかし、引退する選手は毎年数多くいるワケで、結局、解説者・評論家枠も「上が詰まっている」状態になり、何年たっても同じような顔ぶれがメディアに居座り続けている。

年寄りがいつまでも幅を利かせる野球解説の世界

解説者や評論家というセカンドキャリアを目論みつつも、先輩たちがいつまでも居座っているせいでなかなか出番が回ってこない元選手、そして現役時代にそこまで華やかな実績をあげられないまま引退した元選手は、ジムや飲食店を経営するなどして、第二の人生を歩むことになる。

野球解説の世界は、世代交代という言葉を忘れてしまっているように見える。上が詰まっているものだから「走り込みが足りない!」「下半身をもっと鍛えろ!」みたいな昭和時代のセオリーを主張する高齢評論家が、いまだに幅を利かせている状況だ。たとえば、張本勲さんはこれがもはや「芸」になっているので個人的には大好きなのだが、ダルビッシュ有選手あたりは「ハリさん、いまの野球理論は違うんですよ」なんて冷静に言い返したくなっているのではなかろうか。

今年は新型コロナの影響もあってほとんど見かけなかったが、プロ野球のキャンプの風物詩といえば、激励に訪れた重鎮のプロ野球OBが現役選手に指導をする姿だ。若手選手は帽子を取り、神妙な顔つきでOBのアドバイスを「はい!」と聞いているが、内心は「さっさと本来の練習をさせてくれよ」なんて思っているのでは。