「最悪のシナリオ」を想定できるか
危機への備えは常に困難を伴います。発生確率の低い重大害悪を想定した「最悪のシナリオ」に備えることは、組織にとっての不都合な真実を明らかにしかねない難しい作業となります。
いたずらに関係者の不安を招来しないか、組織の対応の不備を明らかにして非難を受けないか、明らかになったリスクに対応するだけの予算はあるのか。重大リスクを「起きるはずがないもの」や「想定外」として取り扱う誘惑は尽きません。
また「最悪のシナリオ」をきちんと想定できたとしても、その想定に従って必要な備えを行うこと、備えを維持することもまた、決して容易ではありません。
われわれは皆、「喉元を過ぎると熱さを忘れてしまう」習性を抱えています。危機感は、次第に薄れていくであろうことまでもあらかじめ想定し、近視眼的な効率化要求に耐えうる継続的な監視体制や執行体制を確保することもまた重要なポイントとなります。
「学ぶことを学ぶ責任」
パンデミックへの備えの強化は遠い未来の話ではありません。
今冬にも、新型コロナウイルスの次の流行がやってくることが予想されている中、これまでの対応を検証し、そこから学び、次の流行への備えにそれぞれ活かしていくことは、政府・民間を問わず、われわれ一人ひとりに課せられた責任でもあります。
日々感染症対応に追われる政府がまだ自ら振り返って検証する余力に乏しい中、政府から独立した立場で検証を行ったわれわれの報告書が、多くの人に「次への備え」についての議論を深めてもらうきっかけとなることを願っています。
しかし、形を変えて、危機は必ずまたやってくる。
学ぶことを学ぶ責任が、私たちにはある。
(コロナ民間臨調 調査・検証報告書 第4部総括より)