デジタル財は、それを知的財産権として確保さえしていれば、後は何回使い回しても消えることがない資源です。グーグルやフェイスブックは、作ったプログラムを何度でも使うことができるし、手に入れた顧客データは何度でも彼らの役に立ってくれます。
つまり、デジタル財を主たる生産要素にする企業にはわきまえるべき分際のようなものはなくなり、競争相手に対してわずかな優位を持つことにいったん成功すれば、たとえそれが思い付き程度のもので生まれた優位であったとしても、かつて石油王や鉄鋼王などと呼ばれた産業資本家たち以上の強力さで、市場を独占することができてしまうのです。
グーグルに独禁法は適用できるか
もちろん、GAFAのような企業たちが巨大化して市場の支配者となっていくことについて、国家たちも警戒してきました。ただし、これまでは国家たちの牽制や攻撃は、GAFAたちの節税対策が不公正であることを指摘する程度のもので、その対策もデジタル課税論のような段階にとどまっていました。
その意味で、今回のアメリカ司法省の独禁法による提訴は、GAFAたちに対する国家たちの本格的な反攻がはじまる第一歩といえるかもしれません。しかし、そのような国家たちの試みはうまく行くでしょうか。
かつては、国家たちは独占禁止法を作ることによって巨大企業を抑え込むことに一定の成功を収めることができました。では、グーグルやフェイスブックの企業活動は、果たして独占禁止法によって「分割」できるのでしょうか。私は、同じことが彼らに対して可能だとは思えません。
鉄鋼や石油などの19世紀的あるいは20世紀的独占企業は国土という物理空間の中で存在するものですから、国土の支配者である国家は彼らに対して力を振るうことができましたが、デジタル空間の支配者に対し同じやり方は通用しないでしょう。
人々の「心」を力で支配することは許されない
鉄鋼王や石油王たちの力の源泉は要するに物理空間における機械設備や資源に対する所有権でしたから、これは国家がその物理力でコントロールできます。
しかし、グーグルやフェイスブックの力の源泉はデジタル空間におけるプログラムやデータであり、さらに言えば私たちの関心という心の動き方そのものにあります。そして、人々の「心」を力で直接的に支配することは、自由を標榜する国家には許されていないはずなのです。