国家は古典的な独占禁止法で対処できる

アマゾンはもっと平凡で、情報ネットワークだけに閉じこもらず、物流という世界で支配力を確立したことが彼らの基礎となっていますから、これは19世紀から20世紀における鉄鋼や資源などの独占企業と似たような顔を持つ企業だと言えます。

ですから、私はアップルやアマゾンの立場は、少なくとも国家に対しては、あまり強いものではないと考えています。リアルの世界に基盤を持つ彼らの巨大化が眼に余るほどのものになってきたら、国家たちは古典的な独占禁止法で対処できるはずだからです。

もしそうなれば、アマゾンの創業者として1000億ドル(日本円で10兆円)を大きく超える富を築いたとされる起業家ジェフ・ベゾスについても、20世紀初めのロックフェラーたちのような産業資本家に起きたのと同じ物語が始まるかもしれません。

「デジタル材」というグーグルの強さの源泉

これに対して、グーグルとフェイスブックは確かに新しいタイプの企業でしょう。彼らは、アップルやアマゾンと比べても、私たちの心に直接的に働きかけることで居場所を築いてきたという面があるからです。彼らは「人々の心」という世界に彼らの開拓すべき原野を発見したのです。

それができたのは、彼らが知識やデータを主たる投入資源とする企業活動モデルを作り上げたことにあると思います。そうした企業活動の資源として使われる知識やデータをこの本では「デジタル財」と呼ぶことにしましょう。

北米と南米、赤い接続線
写真=iStock.com/DKosig
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それに対し、伝統的な製造業の投入資源である鉄鉱石や綿花などは「リアル財」です。その二つのタイプの「財」の違いを意識することが、この問題を考える鍵になります。

農業や伝統的な工業では、生産過程に投入された生産資源は再び投入できません。畑に一度まいた種を他の畑にまくことはできませんし、もう種がまいてある畑に追加的に種をまいても収穫を増やすことはできません。こうした産業の生産効率は生産活動を拡大しようとするにつれ低下することになります。

この現象を、経済学では収穫逓減とか費用逓増と呼びます。これは、企業活動の規模には各々の企業があらかじめ持っている人的あるいは物的な能力に応じた「分際」のようなものがあって、その分際をわきまえて生産水準を決定するのが合理的な経営だということを意味します。

実力はかつての石油王や鉄鋼王たち以上

そして、各企業が自らの分際を守って生産水準を決めていれば、あのアダム・スミスが「見えざる手」と名付けた市場の原理によって需給が調整され、おのずと調和的な市場が成立するはずだったのです。これが従来の産業社会における「常識」でした。

しかし、その常識を当たり前でなくしてしまったのがデジタライゼーションです。理由は、デジタル財が、リアル財と違って、使い減りしない資源だからです。