日本の会社はもはや「協力集団」ではない

日本の企業経営では古くから協力集団を演出してきました。職場は家族のような付き合いを理想として、宴会や運動会を催してはコミュニケーションを密にとり、皆の価値観や問題意識の共有を図ってきました。社員それぞれは、皆の状況を把握したうえで、自分が可能な限り仲間のために働くという具合です。不祥事を起こした企業の経営者が、いまだに「社員一丸となって改革に取り組む」と言いますが、過去の理想を追った姿と言えます。

現在の企業の職場では、昔ながらの仲間意識は失われています。実態は、協力集団というよりは契約集団になっています。割り当てられた仕事をこなせば、それに対して報酬が与えられるといった構図です。率先して仕事をこなしても、契約に謳われていなければ報酬もないという現実です。それこそ「仲間づくり」が契約になければ、仲間をつくらなくとも問題はないのです。

つまり、「気の合う仲間がいない」という気持ちは、「職場に仲間がいるべきだ」という前提から生じている可能性があります。職場が協力集団のように見えてしまうので、「仲間づくりモジュール」が発動されるのですが、実際は必要ないのです。

「どこにも仲間がいない」は問題だ

家族や地域、同好の士の集まりなど、どこかに仲間がいれば、前述のように職場で仲間をつくる必然性はないのですが、「どこにも仲間がいない」のならば別の問題があります。狩猟採集時代の仲間は生きる支えであったので、私たちは仲間がいないとすぐ、「生きていけない、大変だ」と思いやすいのです。

そうした不安に駆られぬように、最低限どこかに仲間をつくっておくことは重要です。どこかに仲間ができていれば、職場については生活費を得る場として、軽く考えることができます。

それに、職場での仲間づくりは「職場ならではの大変さ」もあります。仲がいいからと秘密を打ち明け合った人同士がこじれ、絶交状態なのに過去の経緯から抜き差しならない関係は解消できず、おまけに一緒に仕事をしなければならないという窮地に追い込まれることがあります。「職場に仲間がいていいな」と見える陰には、どろどろとした現実も多いのです。