再試合から10年後の再々試合では本塁打2本

今まで星稜ナインも加藤の心情を慮り、遠慮していた部分があったが、そのとき初めて心が一つになった。

このとき尾藤は加藤に色紙を書いてくれた。その色紙は額に入れられ、今もリビングの壁に飾られている。

加藤さん江
岩もあり木の根もあり
ファーストフライもあれど
さらさらと
たゞさらさらと
水は流れる
箕島高 尾藤公
6.11.26 箕島敗戦の日
画像提供=加藤直樹氏

再試合から10年後の平成16年11月13日、今度は箕島ナインを招いて、石川県立野球場で“再々試合”が行われた。

この試合は壮絶な打撃戦となり、18対11で星稜が勝った。加藤は2本の二塁打を打ち、健在ぶりを見せつけた。だがその雄姿を尾藤に見せることはできなかった。尾藤はがんを患い、闘病していたのである。星稜の選手に会うことを楽しみにしており、試合当日まで金沢まで行くと言っていたが、医者の許可が下りなかった。

「一期一会一球」の重さを感じた

加藤は試合後、尾藤に会いたい一心で、小学生の息子峻平をつれて和歌山の尾藤のもとへ向かった。尾藤は病院から一時退院を許され、自宅にいた。

驚いたのは、尾藤の家には甲子園などでの活躍を示すトロフィーや盾の類が一切なかったことである。飾ってあるのは、高校野球関係のカレンダーだけだった。尾藤はユニフォームやストッキング、帽子などもファンにすぐあげてしまうのだと奥さんが説明してくれた。

尾藤は加藤に、試合に行けなかったことを詫びた。その顔にはいつもの微笑が浮かんでいた。加藤は一枚の色紙を差し出した。

そこには出場した選手全員がサインをしており、尾藤の書く欄だけが空いていた。彼はペンを執ると、ゆっくりと「一期一会一球」と書いた。

尾藤の字を見て“一球の重さ”を改めて感じた。加藤は言う。

「この一球を通しての出会いという意味ですね。大切にしたい言葉だと思いました。改めて、野球を通して人と人との繋がりを大事にしたいとも思いました」

あの一球で運命が変わったが、尾藤や箕島ナインとのかけがえのない出会いを得られた。加藤の人生も「一期一会一球」の体現だった。

加藤は学童野球で十数年監督を務めた。卒業する部員にいつも「一期一会一球」と色紙に書いて渡した。