チィナンを30年間愛し続けたチュアンもまた、いまの自分の状況を受け入れられずに暮らしている。しかし、文通を続けていくうちに彼はチィナンの死を知り、さらにチィナンが生きた現実の人生を知る機会が与えられる。

この映画では、はじめから愛情の対象は失われている。自慢の姉。愛した女性。その実像が思いもかけないほど近くに下りてくるまで、チィファもチュアンも過去の自分をめぐる旅をしなければならない。はじめから死や別れという結末がわかっているだけに、過去を追いかけることのほろ苦さには、ロマンチシズムというだけでは表現しきれないような諦めと憧れが宿っている。それは、前だけを向いて生きている人間がきっと味わわないであろう、何か。ただ情熱的な恋愛を経験したというだけでは味わわないであろう、自分との葛藤。

隠された想い、伝えられなかった言葉

自ら命を絶った美しいチィナンの印象が強烈すぎるゆえに、はじめ脇役のように自らを霞ませていた登場人物たちの人生も、文通が進むにつれ、少しずつ前面に出てくるようになる。チィファもチュアンも、そして姉妹の子供たちも、亡きチィナンを偲ぶ過程から自分自身を尊重することを学び、明日を生きる自信と希望を身に付けてゆく。

叶わなかった恋。偶然降りかかったあまりに残酷な運命。それでも、かつて一生懸命に生きたその美しい人を、私たちも気づけば共に偲んでいる。青春の美しさが息を詰まらせるような想いをもたらすのは、私たちが人生で経験する出来事が、有意味性と無意味性がないまぜになったものの連続だからだ。それらを理解して自分の想いに向き合えるようになったとき、人はまた違う明日を生きることができるのかもしれない。

抒情的な映像美は、永遠の可能性を感じられた中学時代に馳せられたそれぞれのノスタルジックな想いとつながり、彼らがいま生きる空間と時間に広がりを持たせる。日常の描写とつながった記憶は、隠された想いや、伝えられなかった言葉の余白に満ちて美しい。

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