「敵基地攻撃能力」確保を避けて通るべきではない
日本が「一人前の国家」として、多様化する脅威に対応していくつもりならば、中国という「ジャイアン」を恐れることなく、自前の抑止力を向上させることは欠かせないことだろう。そのためには近く政府内で議論を始める安全保障政策の見直し作業において、相手のミサイル基地などを攻撃する「敵基地攻撃能力」確保を避けて通るべきではない。
中国や日本国内の一部野党は反発するが、敵基地攻撃能力の保有は1956年2月29日の衆議院内閣委員会で、鳩山一郎総理(代読)が「他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきもの」として、合憲との認識を示してきたものだ。
自らの国の抑止力を向上させつつ、尖閣周辺での日米合同演習を重ねて共同対処能力を高め、「本気で怒る時は日米でやりますよ」という姿勢をとれないようでは他国からなめられて当然だろう。すぐにでもできる海上保安庁の増強や中国公船による領海侵入事案の映像発信はどんどん進めていけば良い。
「領土・領海・領空を守り抜く」姿勢
史上最長政権になった安倍晋三総理のレガシー(遺産)は、もはや憲法改正とはなりえない。それならば、せめて「一人前の国家」の根本となる新しい国のカタチをしっかりと築き上げていくべきだ。どこに、誰に遠慮する必要はない。政権奪還を果たした時に見せたように「領土・領海・領空を守り抜く」姿勢を再び持ってもらいたい。後世の国民が評価する宰相となるためには、決して中国にビビることなく、その核心的利益を「ぶっこわーす!」という気概を持つ必要がある。