政治に翻弄された「モスクワ」と「ロサンゼルス」
【手嶋】オリンピックを利用したテロルの時代の幕は、ミュンヘンであがったといっていいでしょう。1980年のモスクワ・オリンピックもまた、政治のなかで翻弄された大会になりました。発端は、前年の79年12月に起きたソ連軍のアフガニスタン侵攻です。西側の盟主、アメリカは、ソ連のアフガン侵攻に抗議して、モスクワ・オリンピックをボイコットするよう提唱し、日本や中国などおよそ60カ国がそれに倣いました。その報復として、次のロサンゼルス・オリンピックでは、ソ連がボイコットします。
【佐藤】これには、東側陣営の各国が連帯して、選手団を送りませんでした。ワルシャワ条約機構の各国では、ルーマニアだけがモスクワの意向に従いませんでした。文字通り東西のボイコット合戦になったわけですね。
【手嶋】このとき、独自路線を打ち出してロスに選手団を送ったルーマニアは、当然のことながら、クレムリンの激しい怒りを買ったわけですね。
【佐藤】そうです。当時のニコラエ・チャウシェスク大統領は、ソ連に反旗を翻すことで、アメリカの支援を引き出そうとしたわけです。
アトランタでは2人死亡、112人が負傷した
【手嶋】ミュンヘンの次にテロの標的になったのは、96年のアトランタ・オリンピックでした。公園に仕掛けられた爆弾が爆発し、市民ら2人が死亡、112人が負傷するという惨事が起きました。実行犯はキリスト教原理主義者でした。
スポーツがらみのテロでは、2013年のボストン・マラソンを挙げなければいけません。世界中が注目するこうした大規模なスポーツイベントがテロの標的になったのです。
【佐藤】チェチェンの血を引く若者のテロルでした。
【手嶋】ある意味典型的なと言っていい今日的なテロでした。過激な思想を抱くテロリストが密かにアメリカに侵入したのではない。アメリカで育った若者が次第に心のうちに過激な思想を育み、超大国アメリカに牙を剥く「ホームグロウン・テロ」。しかも大きな組織的な背景を持たない「ローン・ウルフ」型テロルの典型でした。
【佐藤】使われたのは、圧力鍋を改造した爆弾でした。
【手嶋】なかに釘などを入れて、殺傷能力を高めていました。だから、非常にプリミティブなものですが、市民3人が死に、負傷者は300人近くに上りました。犯人の1人は、郊外に逃げ込んで、大規模な捕物作戦に発展した点でも、世界の耳目を集めました。
オリンピックの花形種目でもあるマラソンは、セキュリティーの面からは、警備が最も難しい競技といっていいでしょう。警備のラインが40キロを超えるのですから。警備はとても難しいのです。