コロナで会社への不信感が表面化するケース
私の知人のなかには、長年積み重なってきた会社に対する不信感が、今回のコロナ対応で表面化し、退社を決意した人もいる。長年の家族のわだかまりと、向き合おうとしている人もいる。問題の所在がわかりつつも、今まで目をつぶってきた関係性を認識すること、また、自分とって、一番大切なのは何かを改めて考えるきっかけにも、今回のコロナはなった。
ただ、なかには、純然たる好意や、その人自身が抱く過度の不安が攻撃的な発言に結びついてしまったケースもある。「コロナにかかったら万人が死ぬ」という極端な考えにとりつかれてしまった人は、大切な人を守りたいがゆえに、激しい口調で相手の行動を注意することもあっただろう。
相手の発言が、徹頭徹尾自分本位のものなのか、相手をも思いやったうえでの発言なのかは、ひとつの判断材料になりそうだ。
自分の「常識」は、他者にとっての「非常識」かもしれない
新型コロナウイルスは、いまだ世界で猛威を振るっている。一日の新規感染者は過去最多の15万人を超え、WHOは「世界は危険な新局面に入った」と発表している。第一波はなんとか乗り越えられた日本も、今後の状況は不明である。
いずれにしても、日本はもちろん、世界中の働き方や生き方が、今後大きく変わっていくだろう。そのなかでは、さまざまな新しい「常識」も生まれていくはずだ。
一億総中流社会として、「日本人ならこれが常識」という不文律はすでにここ数十年で失われつつある。そのトドメとなったのが、新型コロナウイルスだったのかもしれない。これまで自分が「常識」としてきた考えかたが、他者にとっては「非常識」と映ることも出てくるだろう。健康・仕事・家庭・余暇……、さまざまな世代や立場、個人にとってそれぞれ優先順位も異なってくるだろう。
自分が「この人は無理……」と思われないためにも、自分の「常識」は、他者にとっての「非常識」になりうる意識を忘れずにいたいものだ。