「こんな人だとは思わなかった……」親しい人の意外な一面
「感染リスクがあるのに、これまで通り会って遊ぼうと誘いがくる」
「家族に高齢者や乳幼児がいるのに、手洗いマスクを徹底してくれない」
「どうしても外せない用事で外出しようとしたら、非常識と罵られた」
「『いまだに出勤しているの? 信じられない~』と友人に驚かれた」
「夫婦二人在宅勤務なのに、家事育児は一方ばかり」
「在宅勤務が許可されない」
「感染が怖くて休んだら、復帰は保証できないといわれた」
「在宅勤務に必要な機器を自腹で揃えるのは当たり前という圧力がかかった」
「(海外に住む知人から)厳しい外出制限をしない日本人は全員バカ呼ばわりされた」
今回の新型コロナウイルスでは、世界中が突如、平時とは異なるストレス環境下に置かれた。そこで表れたのは、家族や同僚、上司など見知ったはずの人間の意外な一面だった。
これまでの日常生活とは違う価値観、場所、人間関係、常識、過ごし方、働き方を余儀なくされて、「これまで知らなかった、相手のいい面を知れた」という喜ばしいケースもあるが、その一方で、家庭での「コロナ離婚」や、職場での「コロナハラスメント(コロハラ)」、交友関係における「コロナマウンティング」なども表面化した。
震災で一致団結した日本人が、コロナでは自粛警察と化す不思議
人間関係のひずみは、広く社会現象としても現れた。
一般的に、戦争や災害などの大きな危機的状況下では、人々の連帯感や絆は増し、団結力が高まる。東日本大震災を振り返っても、被災地や避難所で人々が秩序だって行動する様子や、全国から集まったボランティアの人々が積極的に活躍する姿が、世界からも称賛されたものだ。
しかし、今回のコロナ禍で見られたのは、他者を顧みることなくマスクや水を大量に買い込む人々のパニック様相や、自粛期間中に営業している店を非難する張り紙、あるいは他県をまたいで移動してコロナウイルス感染した芸能人に対する中傷の書き込みなどだった。
震災とウイルス……。同じく、自然の脅威が眼前に迫ったにもかかわらず、なぜ3.11のときには「皆で頑張ろう」と一致団結した日本人が、今回は他者を執拗に監視する「自粛警察」と化してしまったのだろうか。