日本で最も子育てが始まらない街「東京」

現代社会の通念や習慣が徹底している模範例として、本書ではたびたび東京をピックアップしているが、その東京の合計特殊出生率は1.21(2017年)である。日本で最も子育てが始まらない街と言っても差し支えないだろう。東京のベッドタウンである神奈川県や埼玉県、千葉県の合計特殊出生率も、日本のなかでは際立って低い水準をマークしている。

最も秩序の行き届いた東京とその周辺が、最も子どもが生まれ育たない街であることが、私には偶然とは思えない。

東京やその周辺で子育てが始まらない背景のひとつとして、子どもが保育施設に入所できない待機児童問題がある。もちろんそうではあるのだが、待機児童問題が起こっているのは0~2歳の低年齢児である。

昭和時代であれば地域共同体のなかで子守りされ、母親が授乳していたであろう年齢の子どもが待機児童としてクローズアップされているということは、子どもがごく幼い段階から母親も働かなければならなくなったこと、地縁や血縁があてにならなくなっていること、子育てがその最初期から資本主義や社会契約のロジックに組み込まれていることを示唆している。そのことに東京の人々も日本の人々も、もう疑問や違和感を覚えることはない。なぜならそれは資本主義や社会契約のロジックの浸透と徹底という、20世紀から21世紀にかけて日本社会全体で起こった変化に沿ったものだからだ。

かかるお金は増えたのに、「産める期間」は延びていない

東京とその周辺の人々は、こうした資本主義的で社会契約的な子育てにすっかり馴染んでいて、子どもの教育にも多くのお金をかける。上昇志向な子育てを全国で最もやってのけているということは、子育てに対する彼らの“賭金”は全国で最も高い水準だということであり、勢い、全国で最もコストやリスクに敏感な子育てとならざるを得ない。人口過密に伴う住宅事情の厳しさも手伝って、経済的なバックボーンもなしに挙児を決断するのは東京では難しい。

かといって経済的に豊かになるまで結婚や出産を控えるにも限界がある。資本主義と社会契約が徹底したとはいえ、人間が法人のような不老不死の存在になりおおせたわけではないからだ。今日ではよく知られているように、女性は30代後半になると妊娠する力が弱まり、ダウン症などの先天性疾患のリスクや流産や早産のリスクが高まっていく。あまり知られていないが、これは男性にも当てはまることで、年齢が高くなるほど妊娠させる力が弱まり、精子には多くの突然変異が含まれるようになっていく。

だから「もう少しお金が貯まるまで」「もう少しリスクを見極められるまで」「もう少し収入の多いパートナーと巡り合うまで」と結婚や子育てを先延ばしにしていると、現代人は子どもをもうける時機をたちまち逸してしまう。本書の第三章で現代人の健康と寿命の延長について触れているが、生殖適齢期に関しては延びておらず、高齢での挙児は難しく、コストとリスクに満ちている。