日本の展覧会は長く「イベント」としての性格が強かった

日本では読売、朝日、毎日、日経、産経の全国紙のみならず、東京・中日新聞、西日本新聞、北海道新聞、中国新聞、河北新報などのブロック紙や県紙に至るまで「文化事業部」があり、当たり前のように展覧会を「主催」したり「後援」したりしている。

新聞社の展覧会を含む文化催事の歴史は長い。一説には、新聞社の最初の催事は朝日新聞が1879年に大阪に生まれて、翌年に企画した中之島の花火大会だと言われている。

別に展覧会に限らず、例えば「春の甲子園」は日本高等学校野球連盟と共に毎日新聞社が、「夏の甲子園」は朝日新聞社が「主催」に名を連ねている。「箱根駅伝」は関東学生陸上競技連盟と読売新聞社だ。従来から企画部や文化事業部と呼ばれるセクションでは、展覧会を中心としてスポーツなどあらゆる催事を扱っている。

また日本では長い間、美術館自体の数が少なかったために百貨店の展覧会が中心となってきたこと、美術館が増えた後も新聞社が企画の中心になったことで、日本の展覧会は長く「イベント」としての性格が強かったことを強調しておきたい。

広告と見分けがつかない「自社もの」の展覧会記事

19世紀後半に日本で新聞が生まれて、150年近くたった今も、新聞各紙は展覧会を続けている。かつては「利益還元」「社会活動」「文化貢献」と言ってきたが、バブル崩壊以降は各紙で広告収入が激減し、読者も減り続けていることから、本業を補填する「収益事業」として位置づけられている。

当然ながら、「自社もの」と呼ばれる自社主催のイベントでは、広告、記事、販売促進用印刷物など、あらゆる手段を使って宣伝する。

先述した「フェルメール展」の会期前日、主催の産経新聞は一面をフェルメール《牛乳を注ぐ女》の作品写真と「あす開幕」の展覧会告知のみにした。ここまでやるかと言いたくなる宣伝ぶりだが、同社記者たちはどう思ったことだろうか。

筆者も驚愕した産経新聞の一面記事(筆者撮影)

ここまででなくとも、新聞の学芸部や文化部の美術担当記者は、「自社もの」の展覧会のために何度も記事を書かざるを得ない。さすがに展覧会を仕立てている事業部の部員が自分で記事を書くのは憚られるからだ(事業部員が書く「本社事業の紹介」ページは別途ある)。

一番多いのが「特集」と呼ばれる一頁の記事で、美術記者はそのために展覧会の経費で海外取材をし、長めの文章を書かされる。大きな写真数枚がつくその頁は、通常の読者には広告と見分けがつかない。普段は海外取材の予算は少ないから、美術記者はいい機会とばかりに喜んで行く。ルーヴルなどの有名美術館の館長にインタビューができ、そこの一流の担当学芸員の解説付きでじっくりと作品を見る絶好のチャンスだから。