録画した自分の授業の「出来の悪さ」にショックを受ける

動画を作るだけなら、たいした手間は要らない。しかし出来上がった動画は、アップする前に、一度自分で見たくなる。

見れば気になる部分が次々出てくる。自分の授業を録画して見ることなど、いままで一度もなかっただけに、その出来の悪さには、われながらショックを受けるほどだ。

また教員は動画配信サーバーに自由にアクセスできるので、同僚が作った動画を見てしまう。すると、みな自分より上手に見えてしまうのだ。

とくに若手が作る動画の出来がいい。編集ソフトを巧みに利用して、音楽付きのオープニング映像を加えたり、随所にキャプションを入れたりと、さまざまな技を繰り出してくる。自分の顔を映すのでも、カメラアングルを工夫して見栄えをよくしているし、美しいバーチャル背景を貼り付けるなど、視聴者を飽きさせない工夫が随所に見られる。

写真=iStock.com/LeoPatrizi
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動画編集が巧みな若手には負けられないが……

彼らと同じクオリティの動画は無理にしても、こちらとしても、できるかぎり体裁をよくしたくなってくる。

まずは話し方を変えなければいけない。「あー」とか「えー」とかを減らし、言葉に抑揚を付け、話す速さに変化を加えるなどを心がける。また視聴者である学生の多くが、パソコンなどではなく、主にスマホで観ていることから、画面構成にも気を使わなければならない。スマホの小さい画面でも観やすいように、文字サイズを大きめにし、細かい図表はなるべく使わないように変更する。

だが一度凝り始めると、時間がいくらあっても足りない。在宅勤務だからといって、動画作りばかりやっているわけにはいかないので、適当なところで妥協するしかないのだが、モヤモヤ感が残ってしまう。

いままでYouTuberのことを、どこか下に見ていた自分が少々恥ずかしい。納得のいく動画を作るには、大変な手間ひまがかかることを、初めて知った。