統一されているように見えて、思考停止している
調整文化の組織では、社員は指示どおりに動くことが当たり前です。逆に、指示されない限り勝手に動いてはなりません。個々が自分勝手に動かないことによって、全体としては意味のない動き、ムダな動きが減り、組織としての整合性、統一性がとりやすくなるからです。
しかし、よく考えてみれば「指示されないと動かない」というのは、その限りでは「思考停止の状態」です。
もちろん、指示がないと動かないとはいっても、現実には、直接の指示なしに動かざるをえないことはたくさんあります。そういう場合はどうなるかというと、「立場に沿って動く」という組織人としての心得が指示と同じような役割を果たします。各人が組織の中で与えられたそれぞれの立場を守って動いていれば、同じように組織としての整合性、統一性はとれるのです。
上の指示に従い、立場なりの役割を果たすことが第一義だとすると、そこで社員に求められる判断というのはごく限定的なものです。目的を考えたりするための視野の広さや全体観は必要ありません。
「それ意味ありますか?」と聞く人間は面倒な存在
このような立場意識がつねに判断基準になっていると、社員は次第に「立場」という視座からしか物事を見なくなります。業務上でも立場として発想し、伝達するというやりとりになると、組織の中を流れるのは事実情報よりもタテマエの情報が多くなってきます。組織主体ですべての物事が動く中では、個人の思いや志などを表に出しにくくなるのは当然です。そもそも個人の思いや志など求められていないからです。
組織のメンバーが折にふれ、お互いの心の内を知り合うことがなくなってしまうと、人と人との信頼関係は成り立たなくなります。それは組織本来の機能としては致命的な問題なのですが、調整文化の中では、そうしたよけいな思考が入り込まない安定状態に人々の行動が収まっていることが組織にとっては都合のいい調和状態なのです。
したがって組織人に求められるのも、そういう制約条件の範囲内で動くための作法を身につけることです。作法といっても、“空気を読んで動く”ことなども含めた暗黙のルールであり、必ずしも統一的な基準や手順として明示されているわけではありません。だからこそ、周りの空気を察知して「どうやるか」を考え、うまく立ち回る能力を持つ人間が組織人として優秀であると評価されることになります。
そういうわきまえた人間が大半を占める組織の中では、現状に疑問を持ったり「それをやることにどういう意味があるのか」などと考えたりする人間は、空気の読めない面倒な存在なのです。