PCR検査も、感染防護も生きている人が優先

——なぜ、難しいのですか?

【槇野】今は、あくまでも生きている人が優先なので、疑いが強くなければまず保健所に断られます。このような状況での最善の策は、『生前情報で怪しい点がある+死後CTでも怪しい』というケースで、PCR検査をお願いするという流れになるでしょう。

ただ、これで本当につかみ切れるかどうかはわかりません。事前情報は得られないことが多く、また先ほど申し上げたように、死後CTでの診断は難しいからです。

——でも、最悪のことを考えれば、その遺体が生前、もっと恐ろしい別の感染症にかかっていた可能性もあるわけですよね?

【槇野】たしかに、可能性がないとは言えません。しかし、だからといって全ての遺体に対して「新型コロナウイルス肺炎やエボラ出血熱の可能性もあり」として扱えばいいかというと、それも現状では不可能です。

今は、防護するものも生きている人優先で、われわれのように遺体を扱うところにはマスクや防護服がまわってきません。事前情報や死後CTで安全そうな事例は、緩い防護で対応せざるを得ないのです。

日本の解剖室は感染症のリスクに対応できていない

——死因究明という重要なお仕事の現場に、十分なマスクや防護服がなく、感染の危険にさらされているんですね。槇野先生は、米ニューメキシコ州の法医学施設へ留学されたそうですが、あちらの解剖室の設備や防護服などは、日本と比べていかがでしたか。

【槇野】ニューメキシコ州は、州最大の都市アルバカーキに全州を掌握するOMI(Office of the Medical Investigator)といわれる法医学施設があり、私はそこに留学していました。

OMIでは解剖室は全体が「バイオセーフティレベル3」といって、結核など空気感染する病原体や、新型コロナウイルスなどで懸念されるエアロゾル感染(※)などにも対応しています。施設の密閉度が高く、全体に十分な換気ができているのが最大の特徴です。

※筆者註:水蒸気などにウイルスが付着し、飛沫よりも長く遠くへ感染すること

写真=AP/アフロ
保護具を着用した医療従事者が、COVID-19試験を実施する前に手袋を調整する=2020年4月28日、マサチューセッツ州サマービルの病院の駐車場にある試験場

——日本の法医学教室にもこうした解剖室が設置されているのでしょうか?

【槇野】いえ、このような法医解剖室は日本では例がなく、海外でもあまり聞いたことがありません。アルバカーキの法医学施設には15の解剖台があり、そのうち4台がさらに小部屋に隔離されていて、特に感染症が疑われる事例で利用します。個人防護具(PPE)の着用は解剖時必須です。また、N95マスクは必須です。

政府主導のアメリカ、自助努力にゆだねる日本

——エボラ出血熱などの報道では、ときどき宇宙服のようなものを装着して遺体に向き合っている様子もみられますね。

【槇野】フードタイプの「電動ファン付呼吸用防護具(PAPR)」というものです。原理的にはあれをかぶっていれば、解剖時もN95マスクは必要ありません。