女性リーダーたちが賞賛されるのは「女性だから」ではない

コロナ災禍にうまく対応している国のトップは女性が多い。「女性リーダーがコロナを抑え込む」「女性は危機対応能力が高い」といった種類の記事が世界中で特集され、各国の女性リーダーたちの手腕を絶賛している。

多くの記事は、迅速に決断し、対応し、発信した彼女たちのずば抜けた有能さを賛美した上で、ダイバーシティの大切さを訴え、より多くの女性を社会の意思決定プロセスに取り入れるべきだとの文言で締めくくられる。

女性リーダーたちの大活躍をメディアで見る度に同性として誇らしく、うれしく、深く尊敬の念を持つ。一方で、これらの記事を読む度に2つの感情が入り交じってなんとも言えない気持ちになる。

まず、女性リーダーは危機対応能力が高いという雑なくくり方への違和感である。次に、感情移入ができないもどかしさである。女性をトップに選べるほどリベラルな国、別世界の話と、心の中で切り取って考えてしまうのだ。わが国の現実を顧みると余りのギャップに押しつぶされそうになるために、ここでも自己防衛機能が作動してしまうのかもしれない。

彼女たちは、女性だから危機管理能力が高いのではもちろんない。これまでの男性中心社会で選ばれた男性リーダーたちとは明らかに違う「素質」を持っているにすぎない。

彼女たちの振る舞いにある3つの共通点

一連のコロナ対応で女性リーダーたちが賞賛されている振る舞いは、以下の3つに大別される。

①命を守ることを何よりも優先する
②自分の言葉で的確に迅速に伝える
③人々に対する慈愛の態度

これらは女性リーダーの特性ではない。一般にリーダーシップに必要とされる要素である。女性リーダーだからこれらの振る舞いができたのではなく、優秀なリーダーだから危機対応能力が高かったのである。性別は関係ない。

要素に分解してみよう。①は先を見通して優先順位を決定する能力である。多くの男性リーダーたちが事態を甘く見て経済を優先させたがゆえに感染を拡大させ、医療崩壊と経済停滞をもたらした。②はリーダーシップの必須アイテムである言語化能力のことである。①と②は危機対応の両輪である。先を見通し優先順位をつける能力があるからこそ、的確に言語化することができる。

特に、自分の言葉を使ったメッセージで支持を得たのはニュージーランドのアーダーン首相やドイツのメルケル首相だろう。アーダーン首相は、テレビを通じて何をしなくてはいけないかを具体的に示し、シンプルな言葉で語りかけ、必ず自分たちはこの戦いに勝つと繰り返す。そして最後に締めくくる“Be kind. Stay at home. Save lives.”の言葉は移民も含めて老若男女全ての心に響いた。

物理学博士の経歴を持つメルケル首相も、具体的な数字を交えながら国民に政策を分かりやすく伝える姿勢が評価されている。

③の慈愛の態度は、本人の特性に根ざしたものなので、行動とは分けて考える必要がある。