目がブルーで、金髪で、とても優しいアメリカ大使館の方と1年ほどお付き合いしたことがありました。その方も奥さんのいる人で、別れの言葉もなしに気が付いたら海外へ転勤していました。別れの言葉があったのは、たったの1人だけです。その方とはかれこれ20年間、お付き合いをしていました。不倫なので付かず離れずの関係ですが、相手も本気だと私は思っていました。

銀座で働く若い女性が減ってきている。その要因の1つに、手軽に稼げるギャラ飲みの普及がある。

銀座の女というのはいまとは違い、とても差別的に見られる存在でした。不倫はしても、相手の家庭を壊してはいけないというのがしきたりで、本妻になろうなんて、そんなこと考えるのも許されないような身分です。愛人になれるだけ幸せだと思え、そういう教えだったのです。相手の親にまで会いましたが、銀座の女ではどうしようもないと追い出され、挙句、「お手伝いとしてなら、一緒になってやってもいい」と捨て台詞を吐かれました。

最後には奥さんのところへ戻っていきます

それでもやっぱり欲は出てきます。離婚してほしいと伝えると、だんだんと関係は険悪になっていきました。相手には家庭があるので、一緒に過ごしていても、最後には奥さんのところへ戻っていきます。

帰したくないものだから、その人の背広をお風呂に投げ入れてしまった。するとピシャリと頬をひっぱたかれて、その痛みでなお一層彼を好きになってしまいました。

最後は結局、奥さんではなくほかの女に取られました。その男性は、1人の仕事場を持っていましたので、逢瀬はいつもそこでした。私に気付かれるように、わざとほかの女の物を置いたままにするんです。男というのは自分も年を取るくせに、女性を選ぶときは若いほうがいいのです。頭にきたので、「こっちだってあんたなんて目じゃないわよ!」と、頬をひっぱたいて別れました。

そのとき私は50。好きな男性に若い子のほうへいかれるのは辛かった。結婚はそこであきらめました。もう銀座では生きていけないと思い、いちど引退を考えました。

故郷の鹿児島に蕎麦割烹を出し、軌道に乗ったら、もうあちらで隠居してしまおうと。弟に鹿児島の店は任せつつ、平日は銀座と赤坂、週末は月曜日まで鹿児島。しかし、弟のほうが生真面目すぎて、板前さんたちをうまいこと使いこなせない。弱気なところもあるので、悩みだしてしまった。「もうやっていけない」と泣きごとを言うようになり、鹿児島の店は閉めました。すでに鹿児島に隠居用の土地まで買ってしまったのですが、それも売り払い、もう銀座で生きていくしか道はなくなってしまったわけです。