そこから無理やり、「昨日の不安を抱えていた自分はダメだった。今日は強気でいこう」と気持ちをつくった結果、中途半端に積極的な姿勢で試合に臨んでしまった。3つ目のエラーも冷静になれば、ショートの中島裕之選手に任せていいフライだったのに、取りに行ってミスしてしまいました。エラーそのものよりも、準備を怠って切り替えができなかったプロセスの持っていき方について、激しく後悔してます。

AFP=時事=写真
2008年、北京五輪の野球準決勝。8回裏2死一塁の場面で落球した。

G.G.佐藤の野球人生をダメにはしたくない

あとから聞いたところによると、星野監督は「G.G.佐藤の野球人生をダメにはしたくない」と考えて、すぐ僕にチャンスを与えてくれたようでした。余計に申し訳なくて、悔しかったです。

あれから12年。「逆境からどう立ち直ったんですか」とよく聞かれます。その方法があったら、こっちが教えてほしい(笑)。僕は逆境を乗り越えたわけではありません。失敗は消せないから、しっかり向き合って受け入れる。そして自分のため、家族のため、ファンのためという原点に戻って次の目標を立てながら、目の前のことを一生懸命取り組むしかなかった。それをひたすら繰り返していたら、次第に笑って話せるようになっただけなんです。

日本に戻った最初の試合。ライトを守っていたら平凡なフライが上がって、捕球した瞬間、大歓声が湧きました。試合後、「西武ドームの空が、北京の空に見えました」とコメントしたから、また叩かれたんですけど。

別にふざけていたわけではありません。自分の中で「佐藤隆彦」とは別の「G.G.佐藤」という人格をプロデュースしている意識があって、「このコメントは絶対使われるはずだから、活かさない手はない」と考えていたんです。

これは中学生野球で指導していただいた野村克也監督の影響が大きいですね。監督の言葉で印象に残ってるのが、「おまえたち選手は自己評価が高すぎる。社会は誰かしらの評価で生きているんだから、自分がどう見られているか、もっと意識しなさい」でした。その言葉が胸に残って、自分のことを第三者的に見るクセがつきました。

自分の中で2人の役柄をつくって、「今日はエラーしたな。どうしたらエラーをしなくなる?」「どうすれば監督がおまえのことを使ってくれると思う?」という対話をするんです。自分目線だけだと、ミスに対して言い訳もするし、他人のせいにしたりもする。そこに第三者目線を入れることで、ミスを冷静に分析できるし、自分と世間の評価を近づけることができます。