「役割から降りられる場所」で事件を起こす

痴漢を繰り返している人に多いのが、家庭内ではイクメンで家事の分担をしてくれる、職場では長時間労働をいとわない真面目な人たちが多いんです。で、唯一、匿名性の高い電車のなかだけが自分の優越感や支配欲を満たせる場所になっている。そこだけが、その人にとっての「役割から降りられる場所」なんです。透明人間になれるという秀逸な笑えない表現をした人もいました。
(中略)万引きをくり返す女性の場合は、家庭内では育児や家事に追われて、息継ぎもできないような毎日を送っている。そして、スーパーだけが彼女たちにとっての「役割から降りられる場所」「匿名でいられる場所」になっているんです。(斉藤章佳、前掲書)

「透明人間になれる」だとか、「役割から降りられる場所」「匿名でいられる場所」といった表現からは、彼や彼女たちは、周りからの期待に応える、善良で従順な自分に疲れているようにも思える。まるで、役割をやめて、本当の自分になれば、主体性を取り戻せるとでもいうように。

ドイツの哲学者ハンス・ブルーメンベルクは、「あるがままにいたくないという願望は、美的にのみ満たされる」と述べたことがある。しかし、いくら、そうした行為を繰り返しても、主体性を取り戻すことはできないだろう。なぜなら、そもそも、そんな本当の自分など存在しないのだから。

被害者のことを気にする部分だけが抜け落ちている

痴漢や万引きは犯罪であっても病気ではない、と思う人もいるだろう。実は、当人たちもそのように考えているという。斉藤によると、痴漢常習者は、他の依存症患者と同様に、いけないことをやっていると思っているし、捕まったら会社や家族に迷惑が掛かると考えている。それどころか、有名タレントの名前が入った服を着ていれば、「これを着て捕まったら(タレントに)迷惑が掛かる」とすら考えるのだという。

にもかかわらず、彼らには被害者の感情だけが見えていない。被害者の感情を気に掛ける部分だけが、彼らの意識から抜け落ちているのだ。

むしろ、彼らは、被害者の感情を自分の都合のいいように解釈してしまう。時間をかけて習得された自己欺瞞、認知の歪みは、容易には修復できない。それは、性犯罪の再犯率が高いことからも分かる。たとえ、意識としては反省できても、学習によって身に付けた振る舞いは、簡単には変えられないのだ。だから、痴漢を犯罪としてただ罰するのではなく、やめ続けられるように手助けすること、つまり、「犯罪モデル」から「医療モデル」への変換が必要になる。