主観的可能領域と生存可能領域がずれて失敗した例を2つ紹介します。

玩具量販店のトイザらスは、1998年にネット通販に参入しましたが、2年後には自社の運営資源が十分ではないと判断して自社サイトを閉鎖。アマゾンと「トイザらス以外の玩具を売らない」という契約を結び、アマゾン上にトイザらスサイトを開設します。ところが、その後アマゾンは他社へ売り場を提供するeマーケットプレイスを開始します。トイザらスはアマゾンを提訴し、2004年に独占販売契約違反で勝訴。06年に自前の通販サイトを再開しますが、その時点ではすでに玩具のネット販売のメインチャネルはアマゾンになっていて、市場の主導権を奪い返すことはできませんでした。

米国最大のレンタルビデオ店チェーンだったブロックバスターは、ネットフリックスがVOD(ビデオ・オン・デマンド)サービスを開始した翌年(2008年)にVODに参入します。しかし、既存店舗との共存を図ろうとしたため、投資は小規模なものにとどまり、2010年に破綻しました。

いずれのケースも、デジタル化に対応しなかったわけではなく、対応が中途半端だったために失敗したのです。

こうしたケースから、戦略の主観的制約が対応を中途半端にしてしまうことがあるとわかります。例に挙げた3社は、主観的可能領域の設定が狭すぎたのです。既存事業と新事業の間に矛盾が存在する以上、主観的可能領域を設定することは仕方ありません。しかし、その領域をできるだけ広げ、その中でもギリギリ実行可能な、最も攻撃的な戦略を取るべきです。そのうえで、それでもデジタル対応が不十分かもしれないと考える必要があります。

大企業の「宿命」をいかに打破するか

既存企業には、戦略の制約だけでなく「組織の重さ」という問題もあります。大企業の経営者の多くは、デジタル対応の必要性を理解しています。しかし、わかっていても早く対応できない、なかなか投資が進まないという現実があるのです。このように組織が重い理由は2つあります。

1つは「官僚的組織」の安定化問題です。ビジネスが大きくなれば分業化を必要としますから、コミュニケーションコストを下げるために手続きがフォーマット化します。また、分業化は責任の部分化をもたらすため、部分最適に陥りやすくなります。さらに、分業体制で変革するには人を説得するコストがかかりますが、前例踏襲なら調整コストが小さく相手も納得しやすくなります。つまり、大きな組織は官僚化する宿命があるのです。経営者がその気になっても、組織の官僚化を打破することは容易ではありません。