10月に出所した高山若頭とはどんな人物なのか
司忍六代目山口組組長は、2005年に就任したが、銃刀法違反事件で有罪が確定して入獄し、2011年4月に復帰する。ストイックに自らを律する人柄だといわれ、神戸山口組が離れ、新たな組を作ったときも、「新しい山口組の始まり」ととらえていたといわれる。
しかし、それが大きく変わったのは、司六代目組長に全幅の信頼を置かれ、司組長が不在のときは、ナンバー2として見事な組織運営の手腕を発揮した高山清司若頭が、恐喝罪で服役していたが、今年の10月に出所してからである。高山若頭について朝日新聞デジタル(2019年12月24日13時00分)はこう報じている。
「山口組トップの篠田建市組長(77)と同じく弘道会出身で、意見が対立した山口組傘下の組長を処分して組を解散に追い込み、自らに近い組を直系に格上げした。月会費に加えて飲料水や雑貨の購入を迫る集金システムを築き、直系組長を総本部(神戸市灘区)に頻繁に詰めさせる『参勤交代』で支配を強めた。その手法が山口組の分裂を招いたとされる」
出所前から、高山が出てくれば動くといわれていた、神戸山口組の幹部5人のうち3人が11月に襲われた。
兵庫県尼崎市の居酒屋で、古川恵一幹部(当時59)が客の男に自動小銃で撃たれ死亡した。
本格的な報復準備に入ったとの情報もある
犯人は愛知県江南市の朝比奈久徳容疑者(52)。彼は山口組系の元組員だったが昨年12月に破門になっていたといわれる。朝日新聞デジタル(同)はこう書いている。
「発射されたのは28発。自動小銃は米軍がイラク戦争や湾岸戦争でも使った「M16」系統だった。最大射程は約500メートル。京都市内の神戸山口組系の組も襲うつもりだったと説明した。
店には常連客の男性、パートの女性も。銃器評論家の津田哲也さんは『店からほかに人が出てきたら犠牲になるおそれがあった』」
警察庁によると山口組分裂以降、山口組と神戸山口組の抗争とみられる事件は121件(12月17日時点)で死者は9人に上るという。
12月13日には大きな動きがあったと週刊文春(12/26号)も報じている。
この日、神戸市内で行われた神戸山口組の納会で、井上邦雄組長が到着する前に、舎弟頭補佐を務める「太田興業」の太田守正組長が退席したというのだ。
その後、太田組長は大阪府警に解散届を出して、引退を表明したのである。武闘派で知られた太田組長だったから、組内に衝撃が走ったという。
神戸山口組の瓦解が始まったようだが、その指揮をしているのが、ナンバー2の高山清司六代目山口組若頭ではないかと噂されているようだ。
やられて黙っていればヤクザが廃る。神戸山口組が本格的な報復準備に入ったとの情報もある。