「これからも続けたいか」という質問に対しては…
では景気についてはどうか。“悪い”が80%を超えている。意外なのは、かなりの人間が民間の生命保険に加入しているそうである。だが、妻が亡くなっても、暴力団という反社会勢力が受取人では払えないといわれ、今まで払った保険料だけ返金してきたところもあったという。
以前は健康保険証を持っていないヤクザもいたが、今は他人名義を使用すると詐欺罪になるから、国民保険には全員が加入しているという。
国民年金を約1割が支払っていて、以前払っていたというのを加えると、3割近くになるという。“今は年金保険料は払っていない”が約7割。
なぜなら、暴排条例でヤクザは表の仕事ができないことになっているし、銀行口座も持てない。表向きヤクザは無職でなければならないから、無職で無収入。したがって住民税も健康保険料も最低クラス。年金は申請すれば免除になるが、支給されるかどうか。
だが、厚労省年金局事業管理課によれば、基準を満たしていれば年金は支給されるそうだ。払われると、郵便局なら直接受け取れる。
ヤクザをこれからも続けたいというのは少数で、“いいえ”が圧倒的。
令和になってもヤクザは生き残るか? 違法ドラッグや売春がなくならない限り、ヤクザは残る。その通りだろう。
死者29人、560人が逮捕された史上最悪の「山一戦争」
話は変わるが、現役時代に私が取材したヤクザの話をしよう。
ヤクザは三日やったらやめられない。
そう思ったのは、私が現役の月刊誌の編集者だったとき、「山一戦争」を取材しに一和会の某組長の家に行ったときだった。
「山一戦争」とは、1984年8月から1989年3月にかけて、山口組と一和会が血で血を洗う抗争を繰り広げた事件をいう。
300件以上の抗争があり、山口組側に死者10人、負傷者17人、一和会側は死者19人、負傷者49人が出た。抗争に巻き込まれて警察官、市民4人が負傷し、逮捕者は560人にもなった史上最悪の抗争事件である。
きっかけは、山口組四代目組長に竹中正久若頭が就任したことだった。これに反対する山本広組長代行らが竹中の就任挨拶に出席せず、反竹中派が山菱の代紋を組事務所から外し、「一和会」を結成したのである。
8月に山口組系組長が、一和会の若頭補佐を刺殺して抗争の火蓋が切られた。
そして、1985年1月26日、竹中正久組長(当時51歳)が、大阪・吹田市内のマンションで一和会組員にピストルで撃たれ、翌日、意識を回復しないまま死亡したのである。
MSN産経ニュースWest(2011年10月11日付)「【関西事件史】山口組4代目組長射殺事件(上)病院に組員ら300人」で、打たれた直後の竹中組長の様子をこう書いている。
「胸や腹に銃弾を受け、瀕死(ひんし)の重傷を負った竹中組長は、自力で自分のベンツに乗り込み、配下の組員の運転で大阪市南区(現中央区)内の南組事務所に向かっていた。そこから救急車を呼び大阪警察病院に搬送されたのだった」
山口組は舎弟頭を組長代行にし、後に五代目に就任する渡辺芳則山健組組長を若頭補佐にして、報復を開始するのである。