「上から命令されれば殺しもやる?」と聞くと…

ここでの話ではないが、それ以前に、福岡県の道仁会というヤクザ集団を取材したときのことである。九州一凶暴な集団と恐れられていたのだが、そこから泣きの電話が編集部に入った。

電話口でヤクザが、県警のやり方があまりにもひどい、そのことを取材して書いてくれと、切々と訴えるのである。

先輩ライターと取材に行った。話を聞くと、たしかに道仁会を何が何でも潰してやるという県警のやり方は、やや行き過ぎているのではないかと思うところがあった。

帰りに、まだ20歳前後の若い組員がクルマで駅まで送ってくれた。「ヤクザって面白いか?」と聞くと、そうでもないけどといいながら、背広の内ポケットからチャカを出した。

「上から命令されれば、殺しもやる?」と聞くと、「やりたくはないけど、仕方ない。でも、そうならないうちに組を抜けるかも」。その顔が寂しげに見えたのが、今でも忘れられない。

「山一戦争」は、一和会側が追い詰められ、稲川会と会津小鉄会が仲裁する形で抗争は終結した。当初、2000人近くいた一和会の構成員は200人までになり、その後、消滅した。

山口組が3分裂した理由は「食えないから」

この後、渡辺芳則が五代目、司忍が六代目に就任して山口組一強時代が再び続く。だが、1992年に暴力団対策法が施行され、2002年には全国で暴力団排除条例(通称暴排条例)が制定され、ヤクザたちは、以前のように稼ぎのいいシノギがなくなり、金銭的に追い詰められていくのである。

ジャーナリストの伊藤博俊はNIPPON.com(2017.09.11)でこう書いている。

「2年前に起きた山口組分裂は、ある意味でヤクザ組織の“悲鳴”だった。六代目山口組から神戸山口組が分派したのが2015年8月のこと。さらに17年4月、そこから任侠(にんきょう)団体山口組(現・任侠山口組)が枝分かれし、3つの組織が併存する状況となった。

一連の分裂の理由を一言で説明すると、『食えないから』である。かつて山口組の『菱の代紋』を背負い、体を張る若い衆を抱えていれば、『直参』と呼ばれる本体の直系組長たちは『いい家・いい車・いい女』という“不良の夢”を実現できた。しかし、近年の暴力団対策法の度重なる改正と、暴力団排除条例の全国的な整備によって、ヤクザは『食えない職業』になった。

六代目山口組の『会費』と呼ばれる上納金は月85万円で、そのノルマのキツさに加え、さらに締め付けを強める執行部に反発し、最大派閥・山健組の井上邦雄組長を中核とするメンバーは組を割った。ところが、新しくできた神戸山口組は直参の負担こそ30万円以下と軽くしたのに対し、その分中核団体である山健組幹部たちの上納金は重くなり、『話が違う』と不満が鬱積(うっせき)し、任侠山口組の誕生となったわけだ」

カネと女といい生活ができなければ、ヤクザをやっていても意味がない。実にわかりやすい理屈だ。だが、3つに分裂した山口組が共存できるはずはない。