いまの自分の境遇なんて甘い
私の社会人生活のスタートは製造現場のエンジニアでした。
職場は川崎製鉄の千葉製鉄所で、23歳のときです。勤務は一日三交替。ある週の勤務が朝6時半から午後2時半、次の週は午後2時半から夜の10時半、さらに次の週は夜の10時半から翌朝の6時半までと、1週間ごとに勤務時間帯が変わりました。
4年10カ月間でした。
この三交替をやると、同じ社内であっても、朝から夕方までの通常勤務の同期と顔を合わせなくなる。孤独感にさいなまれました。
しかも身体のリズムが狂ってしまい、疲労がなかなか抜けません。ぐっすり眠ることができれば疲労も軽減したでしょうが、それもままならない。
そのときに救ってくれたものがありました。読書でした。
製鉄所近くにあった寮の一室で、いろいろ読みあさっていくうちに、こう思うようになったのです。自分より恵まれない環境にいながら、それをバネにして人生を乗り切った人がたくさんいるのだなと。
貧農の長男に生まれ、16歳のときに両親を亡くしたものの刻苦勉励した二宮尊徳がそうですし、借金だらけの米沢藩を立て直した上杉鷹山もそうです。西郷隆盛だって二度も島流しになっていますし、僧と入水心中を図りながら、奇跡的に助かっています。
皆、壮絶な逆境を経験している。それに比べれば、いまの自分の境遇なんて甘いものだと逆に奮起の気持が沸き上がってきたのです。
その恵まれない境遇というのには、もう一つ原因がありました。
この若造はリーダーにふさわしいか
大学を出たばかりの23歳なのに、私は「現場の親分」でした。配下にいるのは社員、協力会社を含めて約500名で、現場でたたき上げられた40~50代のベテランばかり。肩書が職長、組長とか、伍長とか。それにふさわしい、貫禄十分な風采の人ばかりです。
彼らが、言うことをなかなか聞いてくれない。何より面食らったのは、私の目の前で、火気厳禁の場所で煙草を吸ったり、貨車が上を走るレールのすぐ横に物を置いたり、職場のルールを平気で破ってみせることでした。