撮影=プレジデント社
中国古典では、『史記』『三国志』『管子』『韓非子』『孫子』のほか、経営者が読むのであれば『孟子』や、論理的で性悪説のはしりでもある『荀子』もおすすめという。

私だけではなく、現場に配属された大学出の新卒エンジニアなら必ず同じ目に遭いました。この若造は自分たちのリーダーたり得るのか、見てやろうという、現場による人物鑑定の“試験”です。

それに対する反応はいろいろです。そもそも違反に気づかない人、気づいても注意する度胸がなく見て見ぬ振りをして立ち去る人、「違反ですからやめてください」と懇願する人、「駄目‼」と怒って事務所に連れていき、懇々と説教する人。

この試験に合格しないと、現場が認めてくれません。なかには自分は手を下さずに部下にやらせ、こちらの反応を観察している伍長や班長もいました。職長や組長は総じて人格者でした。

私はどうしたか。その光景を見るとすぐ「それはルール違反だ!」と言って、当の違反者とその上司である伍長や班長に事務所に来るよう命じ、そこで、違反者には何も言わず、徹底的に伍長や班長を叱り、指導しました。

それも、「あなたの指導が悪い」と、周りに聞こえるような大きな声で。

『史記』や『三国志』に書いてある

若造の癖になぜそんなことができたかって?

そんなこと、『史記』や『三国志』に書いてあります。劉邦だって曹操だって、当たり前のようにそうやっていました。

古典は多々読みましたが、一番学ぶことが多かったのは中国のそれです。中国の古典には、葛藤、苦悩、決断に至るプロセスなど、登場人物の心の動きが仔細につづられているものが圧倒的に多いのです。

曹操はそのときどう思ったか、何に悩み、何に怒り、何に喜び、参謀とどんな話をしたか。思わず引き込まれます。中国の古典は「人間とは何か」を学ぶ絶好のテキストなのです。

ギリシアやローマの古典、あるいは古事記、日本書紀といった日本の古典も読みましたが、事実のみを坦々と描いているものが多い。

そういう意味で、人間を学ぶには中国の古典にくはない(及ぶものはない)といえるでしょう。

「人を立てよ。立てれば立てるほど……」

読書のほか、若手のときに心がけたのが学術論文の執筆でした。件のような勤務状態ですから、製鉄所の外に出る時間も、外の人と会う時間もありません。その余った時間を使って製鉄に関する現場実験をし、その成果を技術論文に書きました。

初めに書いた論文は日本鉄鋼協会に投稿しようと思っていました。上司の掛長に許可を得るべく話をしたら、「俺の独断でイエスとは言えない。課長に聞いてみるから待て」と言います。投稿締め切りの10日くらい前のことでした。

ところが、待てど暮らせどお呼びがかからない。