写真提供:JFEホールディングス
冶金技術者として、戦後初めて銑鋼一貫製鉄所として建設された千葉製鉄所(現:東日本製鉄所千葉地区)で、社会人生活をスタート。写真は、千葉製鉄所第3製鋼工場(昭和50年代前半撮影)。

締め切りの日の朝になっても掛長からは何の話もありません。これは駄目なんだとしょげていたら、昼ごろになって呼ばれました。掛長いわく「課長と話して許可をもらった。ただし、条件がある」と。「どんな条件ですか」と聞いたら、「最初に課長の名前、その次に俺の名前、3番目にお前の名前。連名形式にするなら投稿を認める」というのです。

論文は、筆頭に名前が載っている人が主筆です。この書き方だと、課長が主筆、掛長が副首筆ということになる。

これに対し、私はどう言ったと思いますか?

「ありがとうございます。それでぜひお願いします。実は最初からそのような形式での投稿を考えていたのですが、そう申し上げずに、すみませんでした」

掛長の顔がぱっと輝きました。「よしわかった。締め切りは今日だろう。お前、すぐにこれを持って東京の鉄鋼協会まで行って投稿してこい。半休でいいぞ」と。

「それは私が一人で実験をしてまとめた論文ですから、単独名で投稿させてもらえないでしょうか」と言うのは簡単ですが、私はそう言いませんでした。

これも中国の古典に書いてあることだからです。「人を立てよ。人は立てれば立てるほど、立ててくれた人を評価する」と。

それが人間であり、人間学である

もうひとつ、數土流の人間学を伝授しましょう。

私は31歳のときに初めて部下ができ、管理職の端くれになりました。掛長です。チームワークの重要性が身に染みてわかったのも、このときです。“One for All, All for One”(一人はみんなのために、みんなは一人のために)です。

ところが、大切なチームワークを、知らず知らずに阻害してしまうことがあります。それは、個々の部下に対する好き嫌いの感情が周囲に知られてしまうことです。

部下の名前を呼ぶとき、「數土!」と呼び捨てにした場合、好感を抱いて呼び捨てにしているのか、憎悪の気持で呼び捨てにしているのか、もしくは、取るに足らない奴と思っているのか、本人はもちろん、周囲の人はすぐに察知します。そうなれば、せっかくのチームワークが崩れてしまいます。

それに気づいて以降、私は社内の人をすべて「さん」づけで呼ぶことにしたのです。こうすれば、その人物に対する私の好悪がわからなくなる。部下にも上司にも新入社員に対しても、です。のちに社長になっても同じで、君づけもしたことがありません。

これには、私自身が、いずれ日本にも年功序列ではない、能力だけが評価される時代がくると考えていたこともあります。つまりは、いつ部下が自分の上司になってもよいという心構えです。年功序列は崩れると思っていました。『史記』や『三国志』には、年功序列はありませんでしたから。

さんづけの意義は、もうひとつあります。相手に対する敬意がそこはかとなく、自然に湧いてくるのです。困った人、取るに足らない人だとひそかに思っていても、さんづけをしているうち、いら立ちや苦々しい思いが和らいでくる。自然に、それなりにがんばっている人と思うようになります。

相手にもそれが伝わるのでしょう。仕事ぶりが大きく変わった人もいました。それが人間であり、人間学というものなのです。

(文=荻野 進介 撮影=小川 聡)