行きたくなかった、100万円のツアー
実家は、「いせや」という名の石材屋だった。大正時代の創業だが、父が営業、母が経理を務める小所帯で、会社や組織と呼べるほどのものではなかった。子供のとき、「お父さんの仕事は何?」と聞かれたので、「石屋だよ」と答えると、「お墓屋さんね」と言われた。蔑まれたと勘違いし、ショックを受けたが、今は霊園や墓にかかわるこの仕事に誇りを持っているし、愛してもいる。
大学生になると、父が体調を崩した。家業の手伝いを始めて1年が経ったころ、父は他界してしまった。まだ22歳だった私は、自分なりに見聞きして、営業のスタイルを作っていくほかなかった。そんな中、墓石だけでなく墓地も売るようになる。大手霊園が墓地の売り手となる石材店を募集していたので、その流れに乗った。
時は過ぎ、38歳になった私に大きな転機が訪れる。ヨーロッパの墓地を視察するツアーに誘われたのだ。当時の私には、時間的にも経済的にも余裕がなかった。参加費100万円以上と聞いて、本心では行きたくなかった。しかし、父の代からお世話になっている方からの誘いだったため、断わりきれなかった。泣く泣く参加したこのツアーが、私の運命を変える。