しかし、シナリオ作りのための取材をその後も進めていくと、長島の出生率の高さの裏側にある問題が見え始めた。不妊治療によって心身ともに疲弊した結果、夫婦で子作りを諦める選択をとった女性が語ってくれたときのこと。

つらい決断だったのにもかかわらず、地域の距離感が近すぎるゆえなにげなく「早く子どもを作らんとね~」と周囲の年配の人たちに言われることもしばしば。子を産むことができない女性にとっては、十字架を背負わされるようなことだ。

写真=筆者提供
映画のメインの舞台となった港町(長島町・宮之浦)

また、別の女性は「男児だけの兄弟だから、女の子も産まないとね」と集落の人たちから言われることもあり、女児だけの姉妹の親も同様の経験をしたと言う。その言葉たちが、彼女たちの心をすり減らしてきた。

取材を続けてきた結果、地域が一体となり子どもを育てていくことをDNAのように受け継いできた長島の文化も、今一度立ち止まって町の人たちが見つめ直さなければいけないのかもしれない。「全国クラスの出生率」の裏側に潜む、固定化した価値観を解きほぐす必要性を制作陣が体感した。

「この2人に僕は決着をつけられない」

わが子を手放すしか選択肢が残されていなかった“産みの親”と、子宝には恵まれなくともわが子のように愛情を注ぎ、共に暮らしてきた“育ての親”。どちらが「本当の親」なのか、物語のクライマックスではその決着をつける予定だったが、越川道夫監督はこう言った。

「この2人に僕は決着をつけられない」

常識だけでは判断つかないことがある。「夕陽のあと」では、誰も頼ることができず絶望の淵に立たされ、子どもを手放すことしかできなかった産みの親をただの善悪基準で悪人に仕立てるのではなく、長島で暮らす育ての親が、産みの親を理解していこうとする軌跡を映し出す。

誰かの意見ではなく、一歩立ち止まって、自分がどう物事と対峙するのか。親とはどういう存在か、子育てとはどういうことか、家族とはなんなのか。越川監督が与えた一言の思いは「夕陽のあと」に宿り、長島に限らずあまねく人々へと問い掛ける普遍的な作品となった。

「夕陽のあと」の9割以上は長島町内で撮影された。長島の美しい景観や、快活に暮らす島の人たちを映している。ただ、長島の良い部分だけを切り取った作品にはなっていない。不妊治療、特別養子縁組、ネグレクト、シングルマザーの貧困……そして子どもを育てていく場所。子育てと切り離すことができない問題へ、本作は真っ向から立ち向かった。