このたくましい産業を育てあげた地元の有志が集い、「長島大陸映画実行委員会」は発足した。実行委員長を務めた長元信男氏は、長島の海で育まれた養殖ブリを世界各地へと届ける、東町漁業協同組合の組合長だ。

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漁港で開催される祭りの風景(長島町・薄井)

映画を後押しする補助金、そして地元で構成された委員会。ただそれだけのことだが、映画が始まる夜明け前のような期待が膨らんだ。

顔を見ればどこの誰の子かすぐに分かる

長島大陸映画実行委員会は「夕陽のあと」の企画原案を担った舩橋淳氏と、制作会社のドキュメンタリージャパンと出会い、映画づくりを進めた。彼らを長島町に招き、シナリオを書く前に舞台となる場所を訪れる「シナリオハンティング」が行われた。

取材を進めていくなかで、私たちは長島町の合計特殊出生率の高さに着目した。さらに、離婚後に長島に戻るシングルマザーや、男手1人で子育てをするシングルファーザーの存在が多いことにも注目した。制作チームと共に、1人で子育てに励む親たちに集まってもらい取材すると、実際にこんな声が聞こえてきた。

「長島は子育ての制度が充実している」
「地域の人たちが子どもの面倒を見てくれる」
「母親同士のコミュニティのおかげで不安がなくなった」

長島では高校までの医療費が免除され、卒業後10年以内に町に戻った島民を対象に奨学金の返済が免除される「ぶり奨学金プログラム」など、公的な子育て支援に力が入っている。行政が運営する子育てサロンも設けられており、島のお母さんたちの交流も生まれている。

集落、PTA、同級生、縦の関係も横の関係もさまざまなコミュニティが存在し、コミュニティ同士が交流しあう祭りやスポーツイベントも定期的に行われている。島中が親戚だらけの長島では、誰がどこの子か顔を見ればすぐに分かるのだ。外様の自分からすると、長島自体が大きな1つの家族のようにも見える。

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「夕陽のあと」でも題材となった集落で受け継がれる伝統文化(長島町・汐見)

「全国クラスの出生率」の裏側に潜む価値観

取材を重ねるうちに、長島を舞台にしたシングルマザーや子育てを描く物語を作ろう、と制作陣の間で話が進み始めた。台本制作は以下のようなプロットから始まった。

夫の育児放棄、DV、行き着く先の貧困によって子どもを育てることができずに手放してしまった“産みの親”が、里子として引き取られ、長島で育つ“実の子”を取り戻すために長島へ。だが、“育ての親”と共に育った“実の子”は、手放していた間に“長島の子”になっていた。産みの親は、長島で暮らしていく子の幸せを願い、子と暮らす夢を前向きに諦め、初めて“本当の母”となる。

このような展開で物語は考えられていった。子どもを産み、地域で育てていくことは長島では当然のことと考えられてきた。それは台本作りにも大きく影響を与えてきた長島らしい子育ての文化だ。