ところで知事になって僕が県庁の担当の人たちにお願いしているのは「現場主義」と「A4主義」だ。現場を知らずにものを考えるな、発想の原点は現場にあるということと、僕の手元に届ける報告は、内容をA4サイズの用紙1、2枚程度にまとめてほしいということだ。要点を絞り込んで簡潔にしてしまうと僕にでさえ意味が伝わらないようなものは、県民の皆さんにもわからないだろうと思うからだ。

行政の文書は分厚い書類になって僕のところに回ってくるが、その内容をポイントとしてわかりやすく要約できるのが県職員の能力だと僕は思っている。そのまとめ方、つまり要約術というのはノートの取り方と何ら変わらない。授業で先生が話したことを速記のように全部書くわけにはいかない。言葉は悪いかもしれないが、それはちょっと頭の悪い人がやることで、ここがポイントだなというところを理解し、自分なりに書くことが大切だ。

人の話のポイントを掴むには、相手の話をじっくり聞いてれば自ずとここが重要なポイントだなというのがわかる。それができないのは努力が足りないし、逆に相手が恣意的にここの部分は隠してやろうという悪意から、難解な表現で話を複雑にして、わかりづらくしているのだと考えたほうがいい。役所の人間は時々そういうことをする(笑)。


「次のチャンスなどない。学ばずに死ねるか!」少年老い易く学成り難し …40代で大学に入って勉強し、自分の意見を述べることへの恐れがなくなった。頭がよくなったのとは違う。一種の覚悟みたいなものだ。

メモといえば、「たけし軍団」が師匠に関する記事を載せた写真週刊誌の編集部を襲撃する不祥事を起こし、事件に加わった僕も謹慎の身となり、そのときに書いた小説『ビートたけし殺人事件』のことを思い出す。ベストセラーとなり、後にテレビ化もされて話題にもなったが、あの当時はまだパソコンは普及しておらず、こつこつと手書きで原稿を書いた。創作するときにはメモがとても役に立った。全体のプロットをまず考えなければ小説は書けない。そのために大学時代のノート術ではないが、構想を左側に書き、右側にはその構想に肉づけしたストーリーを書き連ねていった。

事件がどのようにして起き、誰が死に、誰がその人を撃ったのか。証拠づけはこのようにすれば不自然ではなく、そのためのトリックにはこういうものが考えられるといったプロットを自分の中で醸成させ、思いついたことをメモしていった。さらに、チャートを描いて理論づけを考えるのと同様、自分の頭の中に映像があって、その絵を解説する手法でプロットに肉づけしていった。プロットをしっかり立てたことで、『ビートたけし殺人事件』は推理小説としても評価を受けたのではないかと思う。