『ビートたけし殺人事件』『日体大のさんま』執筆
自分ではそれほど字が上手いとも思わないし、中学時代のように人に見せることを意識して書いてなかったので、他人が読んでわかりやすいノートだとは思ってもいなかった。ところがあるとき、講義を欠席した社会人の友達にノートを貸したところ試験前に僕のノートが出回り、10人くらいの同級生のテストの解答が似たり寄ったりになってしまったことがあった。穴埋めの問題であれば答えが一致しても何ら不思議ではないが、論述の出題で解答がほとんど一致するのはどうみてもおかしい。
このときは、「試験問題をこの5つのテーマから出題します」と教授が話したときに、いつものようにそれぞれの要点について自分なりの考え方を書いておいた。授業に出ていない学生たちはその要点を覚えていたらしい。学内で少々問題になってしまい、僕は大学の事務室に呼びだされ、「ノートを他人に貸すのはあまり好ましくありませんね」とやんわりと釘を刺された。
学問をするうえで目的意識をきちんと持つことは不可欠だが、ただ勉強したかったという知的欲求だけで大学にきている人もいた。僕もどちらかといえばその考えに近いと思っていた。一生懸命に勉強しても、もしかすると貴重な人生の残り時間を浪費するだけで終わるかもしれず、功利的な意味では大いなる無駄になってもかまわない。学問は自分自身が納得でき、根本から価値観を変えることができるなら、それ以外には何の役にも立たないほうがいいとさえ考えていたほどである。
だが、確固たる目的意識を持った人たちは、中途半端な気持ちで授業にのぞんでいなかった。教授が口にした言葉はひと言も聞き逃すまいと真剣だった。こうした目的意識を持った人間の集まりの中で勉強したことはとても刺激的な世界だったなと今でも懐かしく思い出す。