両親が逮捕され、万引きをして食いつなぐ生活

強烈なエピソードがある。

力さんには3歳上の兄と1歳下の弟がいる。その全員が小学生だった時、長らく刑務所に入っていた父親だけでなく母親の麻子さんまで逮捕され、子どもだけで生活していた時期が1年ほどあったらしい。中本さんいわく「力のお兄ちゃんが、弟たちを食わすために俺が悪いことして育てた、って言いよったよ」。

その間は、高学年になっていた兄が、低学年の弟2人のために万引きで食料を調達していたというのだ。盗めそうで食べられそうなものなら手当たり次第だった。

八百屋のモヤシをザルごと持ち逃げしたことさえあった。味のない生のモヤシを海水で洗って兄弟で食べたと、彼は笑い話として語っていたそうだ。

当人に詳しく聞いてみたいところだが、今は受刑者で広島にいないので、力さんに聞いてみた。モヤシを口にしたかは覚えていなかったが、彼の一番古い記憶は子どもたちだけで必死に生き延びたこの時期なのだそうだ。力さんはこう回想する。

「兄ちゃんはろくに食ってなかった。『俺はいらんけえ、お前らが食え』って。だんだん兄ちゃんは他の悪いこともするようになって、12歳で鑑別(所)行った。そこから自分と弟も、万引きするようになったんすよ」

出所してきた父、あるいは母と暮らしている時でも落ち着いた生活は望めず、むしろ地域社会で敬遠される一方だったようだ。父と暮らしていた時には、罰としてバットで殴られたり、遊びとして煙草の火を手に押し当てる「根性焼き」をされたりすることがあった。家出し、児童相談所の一時保護所で保護されたが、結局父が迎えに来て帰ることになった。母の麻子さんも、人を殴ったり恫喝どうかつしたりするので、関わり合いたくない存在として近隣で有名だったらしい。

ただ小学校では兄の担任だった女性教師が、力さんと弟の面倒も見てくれるようになり、洗濯や、家の掃除に来てくれることもあった。給食費未納だったが「学校に食べに来て、余っている食べ物は持って帰りんさい」と声をかけてくれたので、不登校にならずに済んだ。力さんは「お母さんだと思っとった」と語る。

力さんの審判で涙ながらに「チャンスをください」

力さんが中本さんと出会ったのは、中学生の時。後に自殺した暴力団員の父を持つ敦さんが、「俺よりかわいそうな子がおるんじゃ」と言って、中本さん宅に力さんや弟を連れてきたのだ。芋づる式で麻子さんもやってくるようになった。中本さんは「親子ともどもうちが目をかけんことには悪さをしていけんよね」と大らかに受け入れた。

秋山千佳『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』(KADOKAWA)

中本さんにお腹いっぱい食べさせてもらい万引きは落ち着いた力さんだが、どうしてもやめられなかったものがある。小学5年生で覚えたというバイクでの暴走行為だ。これによって力さんは少年院に二度行き、20歳の時にも逮捕された。

力さんを初めて取材した際、彼は「二度目の少年院に行く前の審判で、ばっちゃんが来とって泣きました」と語っていた。中本さんが裁判官に対して、もう一度社会に帰ってこられるチャンスをくださいと涙ながらに訴えてくれたのだという。

21歳になった彼は、実の祖母だと思っているという中本さんを前にして、「もう心配かけたくない。3回も裏切ったんで」と誓っていた。(続く)

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