誤嚥性肺炎を起こしている
そして無事手術が終わり、母が退院して家に帰ってきたら、今度は父が自宅で転倒し緊急入院をしました。頭の切り傷は何針か縫っただけで大したことはなかったんですが、医師から「誤嚥性肺炎を起こしている」といわれたのが驚きでした。90歳を超えた老人の誤嚥性肺炎は命の危険を伴います。幸いなことに父の場合、奇跡的に1カ月の絶食で回復して、ホッとしました。
父としては「いざ帰らん」というつもりだったんでしょうけど、また転倒でもしたら、母一人では起こすこともままなりません。兄、そして2人いる弟たちと話し合った結果、やはり2人で生活をさせるのは無理だろうということになり、知人から勧められていた老人病院の「よみうりランド慶友病院」に転院させることにしました。
一方、母の認知症も進み始めたので、「内科の検診だから」とだまして「神経内科」に行ったり、実家の母と病院の父をどうやってケアするかを兄弟と話し合いました。兄は学者ですごく忙しいし、弟たちも海外にいたり、忙しかったりしたので、必然的に当時まだ独身だった私が中心になって世話をするしかないと思いました。正直、仕事を辞めることも頭をよぎりました。長く続けている「週刊文春」の対談やテレビの仕事などを一切辞め、合間、合間に書ける原稿の仕事を続け、私は実家に移り住もうとも考えたのです。
そんなときに、友達から「ご飯を食べよう」という誘いがありました。親の事情を話して「いまはちょっと行けない」というと、友達は「阿川んちも大変ね。でも、とにかく5分でもいいから来なさいよ」と説き伏せられ、しょうがないので顔を出したんです。
すると各々が「うちはね、ヘルパーさんに来てもらっている」とか「この間やっと施設に入ってくれた」とか「おじいちゃんがオレオレ詐欺に遭ってね」というような話をしてくれました。それを聞いているうちに「自分だけじゃないんだ。みんな大変なんだなぁ」とホッとして。みんなに会って本当によかったと思いました。
また、別の日に会った友人からは「阿川さぁ、これさぁ、1、2年頑張ればいいと思っているでしょう?」と聞かれたので、「まあ、1、2年は仕事をちょっとセーブしたり、介護に集中したりしなきゃいけないと思っている」と返したら、「阿川、それ甘いから」と一喝されました。「介護はいつ終わるかわからないんだよ。これから先10年続くかもしれないんだから、そんなに力んじゃダメよ」といわれたんです。その一言で、私は目が覚めました。