私、談慶も吉本出身でした
談志門下に入門する前、私は福岡の吉本に2年間ほど在籍していました。これは素人オーディション番組「激辛!?お笑いめんたいこ」に出演したことがきっかけで、当時の芸名は「ワコール青木」でした。同期には博多華丸・大吉さんやカンニング竹山さんらがいます。
この時期はサラリーマンとして働く傍ら、ピン芸人として必死にギャグやネタを考え、土日は彼らとライブで競い合う日々を続けていました。ところがまったくウケず、ライブを終えるたびに悩みは増すばかり。
一方で、博多華丸・大吉さんやカンニング竹山さんは、無名であったあの頃から会場を爆笑させていました。そこである日、自分と彼らの違いを冷静に分析してみたところ、彼らはそれぞれ大学や会社を辞め、退路を断って挑戦していることに気付きました。そして、こう考えたのです。
「俺はサラリーマンという安住の地を守りながらやっているにすぎない。まわりは形のない世界をもがきながら築こうとしている天才たちばかり。これでは今後も負けがかさむ一方だろう。ならば鈍才の俺は、最初から形のある落語ならば、時間はかかるかもしれないけど自分の居場所くらいは確保できるかもしれない」
これが、18番目の弟子として立川談志門下に入門するきっかけでした。
やっぱり、筋トレやるしかない
テレビの世界がこぞって求める当意即妙なアドリブは、天才的なセンスがなければ出てきません。逆に言えば、そうしたセンスさえ持ち合わせているのであれば、前座修行をすることなく養成所からスタートしてテレビ界に進出するのは、理にかなっているでしょう。
一方で、そうした先天的な能力はなくても、「型」のある落語の世界であれば地道に積み上げればなんとかなるということは、私自身が証明しているようでもあります。養成所出身のお笑い芸人さんたちが資本主義的世界なら、われわれ落語家は先に前座修行を納付する社会主義的世界に生きていると言っても過言ではないかもしれません。
今回の吉本の騒動は、そんな資本主義的世界のシステムエラーと捉えられるというのは、ちょっと大げさでしょうか。
しかし実際問題として、前座修行をクリアさえすれば1人で何でもできるようになり、最初から事務所などを当てにしなくなります。私自身、入門当初からの前座修行期間ですべてが鍛えられた実感があります。
ここでまた、はたと気が付きました。考えてみれば、かような落語家の生きざまを決定づける前座修行というシステムこそ、ずっと私がこの連載で論じている「筋トレ」そのものではないか、と。
これこそ極論かもしれませんが、不器用な人間を許容するのは「落語」も「筋トレ」も同じであると、しみじみ感じます。落語には型があり、筋トレにはフォームがあります。地道に積み重ねていくものは、決して裏切らないのです。