ヘイトかどうかを誰がどのような基準で判断するのか?
しかし、彼ら彼女らは、表現「内容」による判断が難しいことを知らない。そして「内容」による判断を許してしまうと、今度は自分たちの表現行為も事前規制される恐れが高まることに頭が及ばない。
その表現行為がヘイトかどうかを誰がどのような基準で判断しろというのか。評論するだけの人は、「ヘイトは事前に禁じろ」と簡単に言うが、それを実際にやろうとすれば困難極まりないのである。
基準が不明確なまま事前に禁じることを認めれば、何も問題ない表現まで禁じられる危険性が出てくる。そして場合によっては「ヘイト」という概念を巧みに使って、時の政治権力が、自分たちに都合の悪い表現行為を「ヘイト」として禁じてしまう恐れも出てくる。
ゆえに大阪市のヘイトスピーチ規制条例は、「内容」による事前判断はできないとして、たとえヘイトの疑いがあろうとも、事前に区民ホール利用などを禁じることはしないという結論に至った。表現の自由を尊重したのである。その代わり、ヘイトの表現行為であれば審議会の審査によって事後的にヘイト認定し、公表することにしたのである。事前に規制するのではなく、事後の対応である。もちろん、場合によっては刑法犯として処罰される場合があるし、民事上の賠償責任を負わされる場合もあるが、これらも裁判所によって事後的にヘイト認定された場合であり、時の政治権力が事前に規制するのとは異なる。
表現行為の是非を「内容」によって判断することには、慎重でなければならないのである。常日頃、表現の自由を声高に叫ぶ者に限って、ヘイトは事前に規制しろ! と叫ぶが、表現内容による事前規制の恐ろしさを分かっていない。
したがって、政治的要素を含む表現行為については、判断権者の裁量でどうにでもなるという事態を防ぐために、「内容」によって個別にその是非を判断するのではなく、「認めるなら全て認める。禁じるなら全て禁じる」というように、「画一的・機械的に」アウト・セーフのラインを設定することがポイントとなる。
(略)