インスタ映え、ほの暗い棚田をたいまつがチラチラと揺れ動く

虫送りの行事は、地域によってその形態は異なる。古くから害虫被害は、悪霊がもたらすものという考えがあった。なかには、害虫の霊をわら人形に封じ込め、鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らしながら村境まで送り出すという、ミステリアスな習俗が残る地域もある。

私の住む京都でも、左京区の山間部で虫送りの風習が残っている。そこでは、

「ででむし(泥虫)、でていけ」「さしむし(刺し虫)、でていけ」

などという掛け声とともに虫送りが行われる。虫送りはほかにも、青森県南部地方、奈良県天理市や埼玉県越谷市などで今でも続けられている。しかし、農村の疲弊に加え、農薬の普及による蝗害の減少、火災リスクの観点による自粛などが要因となって多くの虫送りが姿を消した。

護摩を焚き、五穀豊穣を祈る

ここ小豆島では、中山の虫送りの他にも1カ所、虫送りの行事が残る集落がある。中山の虫送りは300年の歴史を持つという。ほの暗い棚田を、無数のたいまつがチラチラと揺れ動くさまは実に幻想的である。

「とーもせ、ともせ」
「とーもせ、ともせ」

人々の掛け声と、カエルの鳴き声との競演は異世界に連れてこられたようだ。虫送りの儀式は1時間ほどで終わった。

参加者400人の半数以上が島外からの観光客

今年の参加者は400人で、その半数以上が島外からの観光客であった。遠くは栃木や埼玉から、わざわざ中山の虫送りに参加するために訪れた人もいた。

大阪から訪れたある男性は、カメラマンを連れて一家で参加していた。一家は一昨年に初めて虫送りを体験。現在11歳の長女が二十歳になるまでは毎年、祭りに参加するつもりだという。虫送りの風景と家族とをシンクロさせた写真を毎年、成長の記録としておさめたいと、語った。

「火手」に火を移して、いよいよ虫送りがスタート

近年、他県から参加者が集まってきたことで、中山の虫送りには一躍、脚光が集まり、島内の参加者も増えているという。

だが、過疎にあえぐ離島の素朴な祭りを目的に、なぜ他県からこれだけ人が集まってくるのか。

実は、中山の虫送りは近年担い手がいなくなり2006年から5年間、中断していたのだ。しかし、角田光代氏原作の映画『八日目の蝉』(2011)のシーンで、小豆島の虫送りが再現された。島の人々もエキストラで参加した。それがきっかけで、翌年から虫送りが再開されたのだ。

映画の公開とともに、地元の役場なども積極的にPR。SNSなどを通じ、虫送りが全国に知られるようになった。

「とーもせ、ともせ」という掛け声とともに千枚田を降りていく