【渡部】はい。バングラデシュのチッタゴン丘陵地帯に行きました。ミャンマーとの国境沿いにあって、政府から弾圧され続けていた地域でした。
【田原】なぜ弾圧されているの?
【渡部】開発での強制移住や土地・資源の収奪、入植政策によって、抑圧の危機に立たされた先住民族がいました。そのリーダーが民族を守るために立ち上がり、25年にわたって政府との紛争状態が続いていました。
【田原】そこで渡部さんは何を?
【渡部】現地のお坊さんたちが造った学校があって、そこに孤児を中心に約800人の子どもが暮らしていました。外国からの支援者が教育里親として卒業までを支える仕組みで、私は日本からのスポンサーを探しました。活動は、向こうと日本を行ったり来たり。バングラデシュにいるときはお坊さんたちと一緒に仕組みをつくって、日本に戻ったときに里親探しをしていました。
【田原】それからUNDP(国連開発計画)のインターンをやったそうですね。
国連はいったい何をやっているのか
【渡部】同じ地域に国連が入って、紛争後の平和構築をやっていました。ただ、国連がいても、依然として村は焼かれるし、女の子はレイプされ、ジャーナリストも捕まっている。国連はいったい何をやっているのか疑問だったので、インターンとして中に入ってみることにしました。じつはインターンシップには「25歳以上」「修士課程修了以上」「バングラデシュ国籍を有する」という条件があって、私は1つも満たしていませんでした。でも、諦めずに交渉したら、現地の言葉を話せたことが功を奏して現地人枠で入れてもらえました。
【田原】そこでは何を?
【渡部】UNDPは紛争後の地域での村落開発事業をやっていて、20人くらいの女性グループ約2000組にお金を支援していました。10年間のプロジェクトで、私が入ったのは最後の1年。これまでやってきた支援が本当に有効だったのかを調査する仕事をしました。
【田原】まだ大学生なのに、そんな仕事をよくできましたね。
【渡部】現地の女性グループに対してインタビューするのですが、外国から来た男性が英語で話を聞くのは難しいんです。私は女性で、現地の言葉が話せて、顔の雰囲気も似てる(笑)。その点はとても有利でした。
【田原】その仕事をしてから日本に帰国される。
【渡部】大学は休学を含めて6年間行ったので、そろそろ卒業しようかと。卒論で「開発と人権は共存するのか」を書きながら、この先何をやろうかと考えていました。
【田原】難民に関心を持たれたのは、どういうきっかけだったのですか?